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自白

2013年4月30日 (火)

初めての手錠。(10)

この記録は、守大助さんが自筆で最高裁にたいして書いた上告趣意書(B5版で298頁)の中から、平成13年1月6日午前8時ころ警察が来て、任意同行から恫喝されて「自白」をさせられ、この時点では何も証拠が無かったことから、「反省文」「急変者リスト」を警察の誘導によって書かせられ、昼食は午後4時頃に食べさせられ、更に取り調べが続けられ、「逮捕」され、泉警察署に移動し、更に取り調べが続けられ終わったのが、7日午前0時を過ぎて留置場の中に入れられるまでを掲載したものです。約16時間にわたる取り調べがどの様なものだったのか、これを読んでいただけば、「自白」がどの様にしてさせられ、逮捕されたのか理解できると思います。

 

 6 ⑦ 初めての手錠
 私が、反省文、リストの清書を完成させられると、清水刑事はそれを持って部屋を出て行きました。阿部刑事が部屋に残りました。
 私は、Kさんのことが気になり心配だったので確認しました。
 まだ、隣で調べているという返答でした。
 一緒に帰るつもりでいたので、まだ終わってないんだと思いました。
 取調室に、清水刑事ではない、私服の人が入って来て。
「逮捕以上を読み上げる」と言われました。それを読み上げて行きまして、私を逮捕しますと言うのでした。
 私は、何が、どうなっているのか分かりませんでした。両手に手錠というものを初めてかけられ、どうして逮捕されるんだと思い、その人へ私は「なんで逮捕されるのですか」と訴えました。そうすると、その人は、「あなか自分でちゃんと、やったというふうに言って、反省もして、ちゃんと今書いたでしょう」と言われました。
 私の頭の中は、パニックです。「やった」という内容は、清水刑事が受け入れてくれなく、間違ったのかと考える様になったが調べてくれれば理解してもらえると思っていたのです。
 どうして逮捕されるのか分かりませんでした。手錠というものをかけられ、それだけでショックで、声も出せなくなりました。
 どうして、どうしてと頭の中で繰り返しです。
 警察官の息子が、手錠をかけられるなんてと、精神的におかしくなりそうでした。
 調べてくれると思っていたわけですから、逮捕なんて考えもしていませんでした。
 「反省文」「リスト」がこの様なことになるとは思いませんでした。
 それでも、半田教授や父親に確認してくれると思っていました。

 

 県警本部から仙台泉警察署へ移動させられました。両手には手錠され、腰へも紐で巻き付けられどうしようもなくなりました。移動中の車内では会話した覚えはないです。どうしてこのようになるんだと、ただただ考えていました。道中は、外が暗くとだけ覚えています。
 泉署に着いて、すぐに取調室へと入りました。阿部刑事がいて、逮捕されたことについて書類が作成されました。それが、弁解録取だというものだと当時は分かりませんでした。阿部刑事から、確認される様に話すことに、ただ、頷くというものでした。最終的に署名・指印をさせられたものです。
 弁解録取の中で覚えているのは、弁護士の件だけです。阿部刑事から「弁護士は金掛かる、お前、金あるか」と言われました。弁護士が何で必要なのか、正直分からなかったし、知り合いに弁護士もいないので、お願いしようとも思いませんでした。
 その後、同じ部屋でコンビニ弁当が出され、少しだけ口にしました。この食事代を払うと思い、弁当代を確認したら、「これはいいから」と言われました。
 食後は。所持品検査、身体検査を受けました。その後また、取調室で 清水刑事・阿部刑事から調べを受けました。身上経歴というものでした。この作成も清水刑事の確認に頷く、答えると言うだけで、作成されたものです。それにもかなりの時間がかかりました。清水刑事が話すことに答えるのと、いつ帰れるのかと思っていました。
 逮捕となり手錠をかけられ、今後どうなるんだろうというのもあったが、早く、半田教授が説明してくれないかと思ってた、この時も、私は、A子ちゃんの家族が警察へ訴えたと思っていたので、警察が半田教授にも確認するものだと考えていた。
 父親にも確認しているんだろうと思いました。説明してもらえば、帰れると思っていました。しかし、帰ることは出来なかった。
 泉署の中にある留置場で寝る様に言われました。私は、逮捕・手錠だけでも精神的にパニックでした。それに、留置場に泊まるというのはとても耐えられない、勘弁してくれという様な、泣きたい気持ちでした。
 留置場へ移動したのは、1月7日午前0時をとうに過ぎてからでした。
 布団に入ってからも、休むことは出来なかった。
 本当に自分が犯人なのか、いろんな書類を書かされてしまい、もう自分しか犯人はいないのか。A子ちゃんの家族が訴えたのではなかったのか。どうして半田教授は説明してくれないんだなどと混沌として、眠ることなんて出来ませんでした。
 こうして朝を迎えました。
 朝食も、逮捕というショックで食べれませんでした。

 

続く 守大助さんは、逮捕当日のことを、整理して記載しております。

2013年4月29日 (月)

反省文、急変患者リストの浄書。(9)

6 ⑥ 反省文、急変患者リストの清書

 

 11名のリストの下書きが完成すると、清水刑事からA子ちゃんへの反省文を新しい用紙に清書するように言われました。
 下書きを見ながら清書するようにしました。私はやってない気持ちと間違ったのかなという気持ちがありました。それでも調べてくれれば分かると思っていたので、清書していったのです。
 この時は、体力的、精神的にも疲れていました。怒られない様にするのが精一杯でした。私の書いてる姿勢が、机に左肘をつけて左手で頭を押さえるよう、背中を丸めてる状態で書いていました。
 すると、清水刑事は、「お前、そんなんで反省しているという気持ちがあんのか」と言われ姿勢を直しました。「反省しているか」と言われても、それに反発できる精神力が無くなっていました。
 さっさと終わってほしいとばかりだったので、パイプイスの上に正座しました。
 清水刑事は、そうだという顔をして頷いておりました。
 しかし、この正座は、そんなに永くは続きませんでした。右膝を手術していて正座というのがなかなか出来なかったのです。途中で、右膝が痛いので伸ばしていいかと清水刑事へ言って、同意を得られたので右膝だけはだらんとさせてもらいました。こうして作業を続けました。
 反省文というのが完成されていった。下書きでは、処置の順番がばらばらで有ったり、半田郁子医師の挿管ミスを書いていましたが、清書では、それらしい順番にして挿管ミスのことは、書きませんでした。
 11名のリストについても清書することになりました。このリストで下書きSくんの「麻酔薬」という記載が、ドルカムという薬品に変わりました。
 清水刑事から、「麻酔薬の名前はなんだ、なんなのだ」と聞かれたので、私は、症状から「麻酔薬」なんではないかと言い書いただけなので、薬品名なんて知りません。「なんだ」と聞かれても答えられません。「使ってないし、やってないんで分かりません」と言いました。
 それで納得する事はないのです。清水刑事から3種類の薬を言われました。
「マスキュラックス、サクシン、ドルカムのどれだと」「Sくんの症状に合う薬はどれだ」と聞いてくるのです。

麻酔薬なのではないかと言ってましたので、この3種類の中ではS刑事1つしかないので、ドルカムという薬品の名を言って確認して書きました。
 こうして麻酔薬がドルカムに変わりました。
 私が、実際に使用して患者さんを急変させたということはありません。

 

 反省文、リストの清書が完成させられました。
 私は、書かないと怒られるので、清水刑事が 納得するように書いただけです。
 これを書くことによって逮捕されるとは少しも思いませんでした。

 

続く 初めての手錠

「自白」から急変患者リストの作成へ。(8)

急変者リストも、清水刑事の資料を元に書かされてきた状況が理解できると思います。

 

続  6 ⑤20人~30人の急変リスト作成(下書き)

 

A子ちゃんへも反省文下書きが終わると、A子ちゃん以外の患者さんでは言ってきます。
初めに清水刑事は「お前、この他に20、30件やっているんだから、それもいいなさい」と言いました。私はそもそもやっていないので分からないのです。それなのに、「お前。やったの全部答えろ!」と言います。わたしはやっていないし、分からないと言いました。そうすると違う質問をしてきました。
「お前が辞める前に急変した患者はだれなんだ」と「急変した患者」と清水刑事は聞いてきました。私はおぼえていた患者さん3人っを言いました。内科のSさん、小児のKくん小児のSくん。この3名を覚えていたので答えました。
 清水刑事は急変した理由を、私に聞いてきました。私は3人のうち、2名の原因は分かっていたので、説明しました。Sくんについては退職してしまったので、病名・原因が分からなかったのです。「内科のSさんは心筋梗塞で亡くなりました」「小児の Kくんは手術後のショック でした」と説明しました。
清水刑事は、説明を終えた私に、「お前、Sくん、お前やってんだよ」といってきました。そしてSさんについても「Sさんもお前なんだ」と言ってきました。急変させたのが私だと言うのです。
 「そんなことしていません」と私は言いました。清水刑事はSくんの説明が出来ないと「お前、Sくんにラシックスを 使ってんだろ」と言います。私は何のことだか分からなかったので、何のことか聞き返しました。
 ラシックスという薬は、利尿剤なんです。Sくんが急変してクリニックに呼び出しがかかって行った時の症状・状態と言うのが、ラシックスの症状じゃなかったと思いました。失禁がされてなかったのでラシックスと結び付けることが出来ませんでした。私は、その時のことを清水刑事に言いました。
「お前が分からないというわけない」
「その時の状態を言ってみろ」と言われました。なので私は、おぼえている症状を言いました。「声掛けに反応したり、刺激に対して動いたりするが、そういったことをやめると眠った状態になる]
と。
 私が症状を説明すると、その症状について、清水刑事は「こうなる様な。そういう状態になるには、どんな薬だったらなるんだ?」と聞いてきます。
「どんな薬かと言われても分かりません」
「考えろ、お前、薬に詳しいんだから」と、詳しいと言われても、准看護士であって薬剤師でもないので限度があります。
 北陵クリニックでは、看護婦が薬を準備していたので皆と同じです。私だけが詳しいのではない。すぐにはへんとうできなく考えていました。そして、考えられたのが薬品ではなく種類です。
「麻酔薬とかそういうんだったらなるんじゃないんですか」と返答しました。あくまで私はやってないと否定してです。
更に清水刑事は、「1歳の女児(後にMちゃん事件)を急変させて、その父親からおこられていることを見ている人がいるんだ」と言ってきました。
私は、このことを誰が言っているのかすぐに分かりましたので答えました。
「その様なことを言っているのは、S看護主任じゃないですか」と言いました。事実としてそんなエピソードがない、S看護主任が言っているだけなんだと。
清水刑事は私が急変させ、女児の父親から怒られたと言い 、私が説明すると、「お前、じゃ、してないというなら、何やったんだ」と怒鳴ってきました。私は事実を言いました。「いや、私はS看護主任さんに「ヘパ生」持ってきて」と言われたので、それを持って行って渡しただけなんです」と言いました。
「父親から、怒られたと言うこともないS看護主任が勝手に言っているだけだ」と言いました。女児のことは、この時だけで終わりました。
 Sさん、Kくん、Sくん、Mちゃんのことで一段落すると、20、30件のことをまた言ってくる。
「お前がやったやつを書き出せ」と言ってきます。
こんな事を言われての困りました。やっていないんだから。
「そんな!やってないし!知りません」と否定すると、清水刑事は、なおも「お前がやったというのが分かっているし、お前が受けた検査でも反応してるんだから、お前はそういうことをやっているんだよ!」と私がやったと決めつけて言ってくるんです。 そして、新しい用紙をよこしました。
「お前がやった、20・30人のそのやった日、月日とかなまえを、年齢を書け」と強く言ってきました。
この様に言われても、私はやっていないし、分からないので、書けませんとずっと言いました。
 
清水刑事は、また怒鳴って言ってきます。
「泥棒なんか。200件やっても、どこからどうやってとちゃんと覚えているんだぞ」「お前が知らないのはうそだ、思い出して書け」と言う。

泥棒は覚えているんだと言われますが、私は急変させたりしていないので本当に分からないのです。考えろ、思い出せと言われるので、これ以上怒られないように考えました。
 この時も、私は清水刑事に怒られないよう、いくら分からないと言っても受け入れてもらえなくなり、またいいように書いて行きました。
 北陵クリニックで急変したり死亡したりした患者がいたので、それを思い出しながら、しかし、患者名、年齢、時期、性別などについては曖昧な記憶で、書けないと怒られると思い、それらしく順番も書いて清水刑事に納得してもらえる様にしました。
怒られない様にするのが精一杯でした。
薬品名についても分からないことなので、清水刑事に確認しました。「どうしたらいいでしょう?」と聞くと、「お前、どっちにしろ両方で反応してるから、両方の薬書いて良いから」と言われ。
清水刑事に確認しながら、薬、サクシンかマスキュラックスを書いて行きました。
 1999年5月ころに急変があったのではないかとし、虚偽のリストを作成してゆきました。実際やっていないので、対応する患者もなく、単なる急変患者を思い出して、適当に11人分を書きました。
名前を書けたのは、A子ちゃんとSくんの2名だけでした。その他に名前を書けないでいると、清水刑事は納得しません。
「お前、人を何人もそういうふうにやっているし、殺しているんだから名前とかね、分からないというのはおかしい」「もっと思い出せ」と何度も何度も言われました。
私は、そんなことを言われても、やっていないし、急変した患者だって覚えていない。そのことを何度も言うのですが、納得しない。
私は、どうしても分からないので「名前分からないので、急変した患者さんのカルテを見せてください」と清水刑事に言いました。「それはだめだ」と言われました。
私は、「思い出せ」といくら言われても、やってないので無理なので、また清水刑事に「患者さんの名前書いた何かあったら見せてください」とおねがいをしました。
こうするしか。やってないのだから書けないのです。
 しばらくすると、1枚の資料を見せてもらいました。
 それは、一枠に10名ぐらいの患者さんの名前が書かれたのが、上下に10グループぐらいにされた資料を見せてもらいました。

 清水刑事から渡された時に、「ここに丸をつけてみろ」と言われました。
私は、それを見て考えながら丸をつけました。亡くなった、急変した時に転送に付いていった患者、ちょっと覚えていたりした患者につけて行きました。
 それでも、付けられないところが有ると、「一枠に一人は必ず入っているんだから、ちゃんと思い出せ」と言われました。
 最終的に、11人のリストを作成しましたが、最初の2名は、思い出せませんでした。 年齢については、初め何代から何代としか書けませんでしたが、清水刑事から、名前を書いた後、教えてもらい、何歳だと書きました。
 リスト作成も、清水刑事に確認してなっとくされ作らされたものです。
 薬品名を書き換えたのは、事実を思い出してかきかえたというものではありません。
 私は、反省文の下書きの時の様に、清水刑事から怒られない様に書いたのです。
 虚偽のリストを作成しなければならない状況でした。
 そうしないと、帰れないと思いました。
 この時も、私が逮捕されるとは、思えませんでした。
 やってないものを、言って、書かされているのだから、調べれば分かることだと思っていました。

 

2013年4月27日 (土)

「自白」から、反省文の下書きを書かせられました。(7)

これまで、任意同行から自白させられるまでを書きましたが、それでは終わらないで、犯行を証明できる資料が無いことから、反省文を書かせられました。
 自白(1)に書きましたが、お父さんは当時現職の警察官でした。守大助さんが同じ警察官から怒鳴られ誘導されて自白をさせられましたが、守大助さんは、調べれば自分がやっていないことを分かってくれると考えていたのでした。また昼食を出されたのは、午後4時頃でした。

6 ④ 反省文作成(下書き)
 
私は、A子さんにやっていないことを認めさせられました。調べれば分かることだと警察を信じてしまい。清水刑事から怒鳴られない様に虚偽の供述を言って行きました。
 供述が一段落して、昼食とされるカツ丼弁当が出されました。私から言った物ではありません。お昼の時間ではありませんでした。食欲がなく3分の1くらいしか食べませんでした。
 この食事が終えるとS刑事は私をトイレへ誘うのでした。「お前、トイレここに来てから一回も行ってないから行くぞ」私は大丈夫であると断っても、「いいから、つれション一緒に行くぞ」というので、私は一緒に行きました。
 手を洗った時に、コートを着ていたので袖を上げて洗いました。この時、左手にしていた時計で時刻を確認したところ、午後4時前後でした。取調室は地下なので、外が明るいか暗いのかわかりません。このトイレで時間が分かったのです。食事してすぐトイレという行動です。
 清水刑事とトイレから戻ってくると阿部刑事の三人でタバコを吸いました。
 この時、清水刑事ら、「A子ちゃんに反省を書け」と言い。真っ白な用紙と黒のボールペンを渡されました。反省と言われても、私には反省ができない、間違えたとしても反省をどうしてなのか、なんで書くのか分かりませんでした。私はこの様に書けないでいると、清水刑事がイライラしているのが分かりました。ペンで机をトントンしていると思うと、手でドンと机を叩いてくるのでイライラしているのが分かりました。
 それでも私がペンを進めないと、「さっさと書け」と言ってきます。書けと言われても書けないで、黙っていると「どうして書けないんだ!」と大声になる。私は、書けと言われても書けないと、清水刑事とやり取りが続きました。
 何をどう書けば良いのか分からない、書かないと怒られるので私は、
 (A子ちゃんとご両親に申し訳ありません反省してます)
 この様な文をかくのがやっとでした。これ以上何も書けませんでした。これを目の前に座っている清水刑事に渡すと
、「お前、なんなんだこれは、こんなのじゃ意味が無いんだと、また以前の様に目をつり上げて机を叩き怒鳴ってきました。私は怒られるのが嫌でしたので、どうすれば良いのか聞きました。
 そうすると、清水刑事は書く内容を教えてくれました。教えてもらったので、私は初めに書いた用紙の下へ。清水刑事へ確認しながら書いて行きました。確認しながらでも書けない部分が出てきます。やった理由、動機というものです。書けなかったのです。やっていないのだから理由というのが分かりませんS刑事の私は「理由と言われても書けません」と言う様なことを言いました。S刑事は、「お前さっきいっただろ!」と、私は皆がおもっている不満を言ったことが理由なんだというんです。そして「この時だって、お前、入院するしなでイライラしてるんだから、そう言ったの、さっき言ったんだからそれを書けばいいんだ」と言われ、その通りイライラしたと書きました。
 「A子ちゃんの処置についても書け」というので覚えているのを書いてゆき、半田郁子医師が挿管(ラリンゲルチューブ)失敗したことを書くと、清水刑事より注意されました。
 「
これはお前のことであり、他の人が失敗したとかそんなことは書くなといわれ、これを直されて清書ではなくなりました。
 この挿管のことを、清水刑事は私がやったと、「医者の前で格好つけるんだから、お前挿管しただろう」と言ってくるのです。「医者じゃ無いので、私は出来ないし、やっていません」と言うと、清水刑事は、挿管じゃない処置をしている」と強く言ってきました。「お前、挿管じゃなければ違うことやってんだ、お前はそういうの特異なんだから」と。
 怒られない様に考えたのですが、A子ちゃんの処置でやったことが思い出せない、なので、一般に看護士の処置として何が出来たのかを考えて清水刑事に言って書きました。それは、吸引、気道確保、で鼻腔よりチューブを入れるネーザルというのもがありそれを書いたまでです。もちろんS刑事も挿管は医師だということに納得して、これらの措置で怒られませんでした。
 私としては、これらの処置はやってないと思いましたが、清水刑事に怒られない様にするには、書かなければなりませんでした。
 このようにして、A子ちゃんの反省文という下書きが出来ました。
 私が自ら書いたものではありません。
 
書かないと清水刑事は怒鳴ってくるんです。
 分からないと言えば、これこれ書けばいいんだと、それに私は確認しながら書いて行きました。この様な反省文が、どうして信用あるのでしょう。

 

 

2013年4月25日 (木)

守大助さんはどの様にして「自白」させられたか。(6)

③「虚偽の自白」について
 私は、清水刑事にいくら説明しても聞いてもらえず、もうその調べがとても嫌いになりました。
私でなければ 、Kさんをを逮捕する。とまで最後は言うのでした。私自身がやってないこと分かっている、Kさんが同じようにされていると思うとかわいそうだと思った。どうせ調べれば分かることだと思い、やってもいないことを認めました。
 
私は、散々清水刑事に怒鳴られているのが本当に辛かったです分かってもらえないということが、どれほど」辛いものかこの時知りました。
 処置中に間違ったってしまったのかと考えて、急変の場面で注射をしたことがあったのでそこで間違ったのかと思い私は、「間違えて、ボスミンとサクシンを間違えて注射しました。」と言いました。間違えたのは、この時だけだではないかと考えたんです。ボスミンという昇圧剤を使いましたので、それを三方活栓から注射していますので、その時に間違えたかと思ったんです。ボスミンとサクシンを取り違えることはないのですが、間違えてしまうのは、この注射した時しかないだろうと思いました。。取り違えることないが、ボスミン・サクシンは水溶液なので、溶解する作業がない、だからサクシンならと思いそう言いました。
 清水刑事は私の答えに納得せず「違うだろう」といってきます。
 私はやっていないから、「違う」と言われても困るのです。何が違うか考えました。
 そうして考えたのが、「サクシンかマスキュラックスを注射しました」とボスミンと間違えた薬にマスキュラックスをプラスしたという意味で言いました。この内容にも納得してもらえません。
「そうじゃねえだろう!」「お前反応してるんだろう」とポリグラフのことを言ってくるのです。
清水刑事が、「反応している」という意味は分かりました。ポリグラフ検査後にすぐ言われていることだと思いました。「反応してる」と言われましたので、マスキュラックスかなと思いましたので、「マスキュラックスを注射しました」と言いました。
 清水刑事は私が分からないで言っているのに怒鳴ってきます。もう怒鳴られるのは勘弁してほしいと思ったので「分からないです」と言うと。S刑事は怒鳴っていたのをやめて、「A子ちゃん、その時なんかやっていただろう」と頭を目線と一緒に上から下に動かしているのです。
その行動と、なんかやっているんだろうと言われているので、何を指摘しているのか分かりました。私は清水刑事が言わんとする事を理解して「ああ、点滴はしていました、点滴ですか?」と確認しました。
 そうすると清水刑事は「そうだ、そうだ」といい、「続けていってみろ」と私に言うのでした。私は何を続けてないのかと思って黙っていると「今、言った言葉を続けて言ってみろ」と言うので、清水刑事に、一言一言確認する様に、「マスキュラックスを?点滴に?入れました?」と確認しながら言うと、。清水刑事は頷きながら、「うん、うん」と言い、最後には「 よく言った」と微笑んでいました。
 私は、よく言ったと言われても、やっていないのにどうして、早く調べてくれとおもいました。
私は、この発言が「自白」だという物になるとは考えてもいませんでした。やってもいない事を言わされているのですから、これが重大な事だとは考えませんでした。

 

 部屋には,阿部刑事と2人きりになり、「少し言ったんだから、タバコでも吸って楽になりなさい」と言われました。少し休んだように思います。私はこの後、帰れるとばかり思っていました。経験していないことを言っているのだから、調べてくれると思っていました。

 

 清水刑事が部屋に戻ってきて、また調べが始まりました。「A子ちゃんにどうゆうふうにやったのか」と聞かれました。どうゆうふうにやったかなんてやっていないのですから分からないのです。ですから私は、「分からない」と言いました。
 
清水刑事は、「どういう点滴ボトルなのか」と聞いてきました点滴、何入れたんだ」とです。
何を入れたと言われても、小児で入院し血管を確保しなければならなかった、抗生剤では確保しないので、私は、「500mlの点滴です」と言いました。そう言うと、清水刑事は怒って「お前500じゃないだろう」「違う点滴やっているだろ」と言ってきます。私は、違う点滴と言われ、血管確保の後に抗生剤をやっていましたので、「抗生剤ですか」と聞きました。「そうだ」と言うのです。
清水刑事は、抗生剤の指示が出ているのだから、抗生剤だと言うのです。この抗生剤には、テストがいらないのですが、「テストしている」と強く言ってきます。私は、テストしないと言うのですが、清水刑事は「抗生剤は必ずテストが必要で、お前じゃなければ他の人がテストしてるんだ」と言われると、私も忘れてしまったのかなと思うようになってしまった。相当言われているので、自信がなくなってしまった。
 次に聞かれたのが抗生剤のテストの時間です。
 私は、通常テストして反応を見る時間を伝えました。「10分から15分で判定し、抗生剤に変えます」と「その間は500mlを落としています」と言いました。抗生剤のテスト時間などで納得したようで、先に500mlが落とすことで怒られませんでした。
ただ私は500mlを落としてすぐに抗生剤へ交換したことを覚えていたので、「 500mlを落としてすぐに抗生剤に交換しました」と言うと、今度は納得せずに「お前、テストやってんだ、テスト時間があるだろ」「すぐなんで交換しない」と言われました。
テストはいらないにと思いながら、自身もなくなっていたので、「じゃ5分か10分後に交換します」と言いました。
 
清水刑事は、点滴の落ちるスピードを聞いてきます。
 私は、通常一般論で1時間に100mlのスピードで落としますと伝えました。 1時間に100mlのスピードについて納得せず、「お前5分・10分じゃ1時間で100mlじゃ入んねえだろ」という話になり、私は考えて怒られないように、「血管確保している特に点滴チューブの滴数を調整するクレンメという部分を全開にしていたかもしれません」と言うと、清水刑事は「その間、全開で入っているから大丈夫だ」と言います。
 点滴のボトルにマスキュラックスを調合した場所を今度は聞いてきます。私は、A子ちゃんは外来から入院になったので外来で調合した(マスキュラックスは入れてない)ことを覚えていたので、「外来で準備しました」と言いました。そうすると清水刑事は、「お前外来でやってたら、診察しているし看護婦もいるんだから、そんな所でやれない」と言います。また私は考え確認するように「じゃ、ナースステーションですかね?」と聞きました。「ナースステーションには、誰もいないか」など聞かれ、「助手の出入りはあるけれど」と言いました。事実に基づくものではありません。事実は外来であってナースステーションでないのですが、怒られるのが嫌でしたので、怒られないように考えてゆくのです。清水刑事は、ナースステーションで納得しました。
 
マスキュラックスはどのようにして入手したのか聞いてきました。
 私はA子ちゃんにはマスキュラックスを使用していませんが、薬局にしかないので、そこからだと言いました。「誰かに見られなかったか」と言われましたが、「薬局にしかないし、誰でも薬局に行けば取れますからね」と伝えると、それ以上の話にはなりませんでした。納得下かと思いました。次から次と聞いてくる。
 「マスキュラックスをどうやって入れた」と言うのです。
 どうやってと、言われてもやっていないことなので、通常の準備を言いました。「マスキュラックス1アンプルを溶解液に1アンプルで溶解して入れました」と、しかし、清水刑事は「溶解液は使わない」と、私はこれまで手術で準備していたので、溶解液が必要であることを伝えました。それでも清水刑事は、「その時、点滴やっているんだから、他の薬品もあるんだから、それと一緒にやっているんだ」と言うのです。私は、マスキュラックスは溶解液を使わなければいけないんだと説明したのです。そうすると「他の薬品で溶解が必要なものはどうするんだ」と聞いてくるので、私は点滴の液で溶解すると説明すると「その時もそうやったんじゃないか!」と言ってくるので、「それなら、点滴の液で溶解して入れました」と言いました。やってないことを怒られないように説明しました。
 清水刑事が納得しないことを言うと、怒鳴ってくる、それが私にはもう嫌いで嫌いで仕方がなかった。だから怒られないように考えてゆきました。マスキュラックスの調合する注射器についても、通常手術で使用する準備の仕方を言いました。点滴にマスキュラックスとS刑事は、納得していました。
 
清水刑事は、動機とか理由を聞いてきます。
 私はやってないので答えられませんでした。「なんかあるだろう、不満とか人間はあるんだからそういうのはないのか」と言われました。「不満はありますけど」と伝えました。クリニックへの不満はいいました。勤務条件のそういった皆が持っている不満です。半田郁子医師への不満も皆と同じようなことをいいました。半田郁子医師のことで、清水刑事は「郁子先生とお前は、出来ていた、男女の仲なんだ、先生に相手にされないと、お前はかっとなるんだよ」と言われました。私は、「郁子先生とは恋愛とかありません」と言いました。
 「そうじゃないなら、不満あったろ」と言われ、皆が不満のしていることを伝えました。私だけでなく、クリニックの人と同じなんですよと説明しました。具体的なこととして、診察の時間が遅い、入院するしないがはっきりしないと、言いました。皆も言っていますと。「他の人はいいんだ」と清水刑事は言ってきました。
 最終的にS刑事からは、「お前、この時だって入院するしないというのでもめ、いらいらしてたんだ」と言われました。私は、何を言っても納得してもらないと怒られるので、これに対しても私は、「そうなんですかね」と確認するように言いました。相手に確認するように聞いても、怒られるということはないのです。
不満というのが、事件を起こす理由になるとは思っていませんでした。
これが昼食の食事をさせられる前に言ったことです。「間違って」と言ってからは、もうS刑事に怒られないようにするだけでした。やってもいない事実を考えて、確認して話していったものです。やってないと言える状況でなかった。
 私は、やってないことを言っているのだから、調べてくれれば分かると強く思っていました。
怒鳴られるというのが、とても耐えられなかった。やってないことを、一つ言ってしまうと、次から次へやってないことなので分からないことだらけになるのです。
 清水刑事がヒントをくれる様に言ってくる。
 それについて考えて、怒られない様に、納得してもらえる様に考えて言いました。私は、「自白」というものをしましたが、進んで言ったのではありません。筋弛緩剤事件なんだと結び付けることが出来ませんでした。
重大なことだと本来ならなりますが、この時はA子ちゃんが事件であると認識してませんでした。本当に調べてくれると思ったんです。以上が「自白」したという内容の流れです。

 

 

 

県警本部の地下の取調室で怒鳴られ、怒鳴られて誘導されて自白されて行く状況だけでなく、郁子医師と出来ていたなどと、ありもしない下劣なことまで言って誘導してゆく警察の取り調べが明白になってきたと思います。

 

続く。

 

 

2012年11月 8日 (木)

守大助さんはどの様にして自白させられたか。(5)

 私の言い分が聞いてもらえない状況が続き、勘弁して欲しいなと思うようになりました。
清水刑事は、繰り返し言ってくる。
「お前じゃなければ誰だ」
「お前が知らないはずない」
「やっていないなら証拠を出せ」
「反応してるんだ」と言ってくるのです。
A子ちゃんの挿管ミスを自分の目で見ているので、筋弛緩剤の事件だと、現実のものだと認識することは難しかった。
「その日いたやつなんだから、そいつらでいいのか」
から、今度は、
「お前じゃないというなら、K看護婦を逮捕していいんだな」と言ってくるのです。
私でなければ、彼女であるK看護婦を逮捕すると言うんです。
困りました。結婚する相手を私でなければ逮捕すると、これから幸せな家庭をと思っていた私は、Kさんが逮捕されたら、私の父が警察官なので、父にも迷惑がかかるのではと考えたり。一方ではKさんも同じように言われているのではないかとも考えました。
Kさんと会わせてもらえなかったので、急変したときの確認は出来ない。
私は、業務と筋弛緩剤がはっきり分離することが出来なくなってきました。
まして、Kさんが同じように調べられていると思ったので、かわいそうだと強く思いました。
 私は、やっていないことなので、自分は逮捕されるとは考えもしませんでした。
 朝からずっと怒鳴られたいたこともあり、精神的にも辛くなり。清水刑事の言うことに、「はい」「はい」と言えば帰してもらえるのかなと考え始めました。
散々「お前なんだ」と言われ、やっていないのに言われ続け、「お前じゃなければK看護婦を逮捕する」と言われるし、A子ちゃんが急変した事実はありますので、そこの場面だけを考えてしまう。
 事件性というのをすぐに現実のものとして納得すること難しく、私がやっていないのに自分だと言われるので、「間違えて」という可能性を考えてしまう。
 私はKさんをかわいそうだとばかり思い、どうせ調べれば「挿管ミス」であると分かると簡単に思いました。
 Kさんと私の仕事状況も整理していませんでした。
 私がやっていないのは自身が知っているのであり、この調べから楽になりたいと強く思い、例え私が認めても調べれば分かることだと考えていくのでした。
 このままでは、Kさんが逮捕されると考えた。
 事件性というのが、どうしても結びつかないので、Kさんの逮捕というのに不安があった。
 Kさんも逆に悩んでいるのではないかと思いました。
 清水刑事からは「お前だ」と言われるし、「やってない証拠を出せ」とも言われているので、これだけでも精神的に辛いのに、半田医師でもM助手でもなく、K看護婦を逮捕すると、私は3人でもなく、分からないと説明しているのに、Kさんを逮捕すると言います。
 さらに精神的に悩みました。
 筋弛緩剤の事件だと現実に思ってないので、私は、精神的にも楽になりたいと強く思っていたので、どうせ調べればA子ちゃんが植物状態になったのは、郁子医師の挿管ミスだと分かると思ったので、清水刑事が「お前だ」と言っていても調べれば分かると思いました。
 だから、私はそもそも筋弛緩剤を使っていないので「間違えて」と説明していきました。

 

 私は,A子ちゃんが急変した事実があった。植物状態になったのは、気道確保であるラリンゲルチューブ挿管の失敗がありました。
 それが問題だと思っていましたし、刑事事件になるような事件性を想像だにしなかった。
 話を聞きたいからと刑事が来て、警察署に連れて行かれ、医療過誤だと言っているのに、刑事からは、筋弛緩剤を使用しているんだと言われる。
 それを使用したのは私だと言われる。
 A子ちゃんが事件であるとの現実感がない。
 現実感がないのに、私がやったんだと強く言われてしまう。
 非現実感がさらに大きくなりました。

 

 はっきりとした事件がある。あったというならば私がその犯人だと疑われているんだなと考えるが、急変はあったが、それが筋弛緩剤が投与された原因でなったなどとは、理解できなかった。
 自分の業務と事件ということが、はっきり区別できないままでした。
 清水刑事は「お前なんだ」と言う。
 間違って処置したかも知れないと思うが、意図的にやっていないことは間違いない。
 もう怒鳴られるのは、たくさんだと、筋弛緩剤を使っていないのだから、調べれば分かることだと思ったのです。
 以上が、やっていないことを認めてしまうようになった状況です。

 

※続く
③「虚偽の自白」について

2012年10月17日 (水)

守大助さんはどの様にして自白させられたか(4)

6 ② 虚偽の自白へ

 

 私は、ポリグラフ検査後、朝に来た時の部屋に戻りました。
 A刑事と二人だけでした。
 S刑事が部屋に入ってくりなり、「やっぱりお前だよ」と言ってきました。
 私は何を言われているのか分からなかったので「はあ?」と声に出しました。
 S刑事は、「反応してるんだ」と言い続けて

「マスキュラックスで反応している」
「こちらで考えている通りだ」
「20・30人以上やっているんだ」

と言われました。
 この様なことが反応しているんだと言われても、私には結びつくものがないんで、
「いや、そんなことを言われても知りません」と言いました。
「反応が出ているからお前なんだ」と言うんです。
やっていないことなので、私は分からない。しかし、S刑事は、全然納得してくれませんでした。
 私に対して、A子ちゃんが急変した日の、10月31日にいた職員のことを言ってきました。
「じゃ、お前が知らない、やってないと言うんじゃ誰なんだ」と言うのです。
「その時いた人を言ってみろ」と言うのです。
私は「半田郁子医師・K看護婦と助手のMさんがいました」と言いました。
S刑事からは、3人がいたという説明をしたのに対して
「じゃ お前じゃなければ郁子先生なのか」
「郁子先生、K看護婦か」
「それとも M助手なのか」と言ってきます。
私は、そんなこと言われても知らないので、「知りません」「分かりません」と言いました。
3人のうち誰かと言われても分からないと答えているのに納得しない。
この時に私が分かっていたのは、入院して急変したんだということでした。
それ以外には、頭の中で整理されていません。
更にS刑事は、「お前じゃなければ その時にいたやつなんだから そいつらでいいのか!」と言ってきました。
「お前じゃなければ」と言われても、私はA子ちゃんに筋弛緩剤なんて使っていないのですから私じゃない「他の3人なのか」というふうに言われても確認がとれるものでなかった。
 急変した場面しか思い出していないので、筋弛緩剤を使用したという場面がなかったので私としては「3人のことも知らないし、やっていないと思う」としか言えませんでした。
「その時いたやつ」だと言われているんで、K看護婦も一緒に急変の対応していたので、確認したいと思ったので、先ず、私はKさんのことが心配になりました。私と同じく調べれれているのではないかと思いました。
S刑事にKさんのことを聞くと。
「隣で調べを受けている」と言われ、私はまします心配になりました。
私も急変原因が分からないのに、「お前がやったんだ、お前じゃなければ誰だ」と当然Kさんにも言っているものだとお思いました。
私はますます心配になりました。私も急変の原因は分からないのに、
「お前がやったんだ」「お前じゃなければ誰だ」と当然。Kさんにも言っていると思いました。
私以上に悩む方だったので、もっと悩み考えているんじゃないかと心配しました。
 当時、私は筋弛緩剤の使用方法は静脈注射しか知りません。
  急変時に使用したという認識がなおい、Kさんにも、確認したかったので、私はS刑事にKさんと会わせてくれと頼みましたが、
 「だめだ」と言って断られました。
 Kさんと会えば、どんな調べか。ひどくないか。筋弛緩剤を使ってないことを、話すことができたのに、許されなかった。
 私が説明をしても聞いてくれない、会わせてくれと言っても聞いてくれない。
 S刑事には納得してもらえないという状態でした。
 このような状態になっている私に
 「お前がやったという証拠がある」と言ってきました。
 どうして私なんだと思いました。だから私は、どんな証拠なんだと思ったので、「証拠ってなんですか、見せて下さい」と言いました。
 「お前が認めたら見せてやる」とS刑事は言います。
「認めたら見せる」と言われても、認めるような事実をしていませんので困りました。
私は「分からない」「知らない」としか言えませんでした。
 今度は、証拠を出せと、
「お前がやっていないと言うならば、やっていない証拠を出せ」と言い。
「出したら認めてやる」といってくるのです。
私は、やってない証拠なんて、やっていないという以外説明ができないのです。
「やっていないとしか言えません」とこれだけ伝えましたが、認めてくれない。
「お前は、やったから証拠がねえんだよ」と怒鳴ってくるのです。
「やってない証拠なんてないです」それ以上答えないでいると、
S刑事はますます大声で怒鳴ってきます。
そうでなくとも、さんざん怒られているので、やめてくれと思いました。
「3人なのか」「あの時いたやつだ」と言われてもA子さんが筋弛緩剤で急変したと考えられなかった。
 どうしてもS刑事からいわれていることが重大なものと結びつかなかった。原因が筋弛緩剤なんだとは考えなかった。それが私の認識でした。
S刑事は口調が厳しくなり、たちあがり大声で怒鳴ってきました。
「お前じゃなければ誰なんだ」「こちらは証拠があってお前を調べてんだから、お前が知らねえっつうことねえんだよ!」と言ってきます。
S刑事は、私が黙っていると、机を叩き怒鳴ってくる。
私は、親にもこんなに怒鳴られたことがないので、精神的にも弱りました。
やっていないのですから、「分からない」「知らない」これが精いっぱいの答えでした。
「挿管ミス」だと説明しても全く聞かない。
このまま調べが終わらないのではないかと思うようになりました。
私はやってないのだから、調べてくれているだろうと「調べて下さい」の一言を口に出せなかった。
 警察は調べるのが仕事であるのだから、言わなくとも調べると思っていたからです。
直接手を出す暴力はないが、言葉の暴力です。
聞く耳を持ってもらえず、性格的にも反発できないので、頭の中でいろいろ考える。
北陵クリニックへの確認、半田教授に確認してくれ、違いますといってくれるのではばいか。
 父親が警察官なので、父に仕事を辞めたことを説明していて、急変時に医療ミスがあったことを言っているので、私がS刑事に言っていることは本当だと確認して分かってくれるのではないかと思いました。
そうしてくれているんだろうと思いました。
 平成12年12月4日の夜の出来事が頭に浮かび、半田教授が、刑事に説明してくれ、不法侵入者じゃないことがわかり、帰してもらったということがあったので、今回も間違いであると助けてくれると思った。
 この時点でも、私は、A子ちゃんの家族から北陵クリニックが訴えられたんだと思ってました。だから半田教授を信頼していたので助けてくれる。半田郁子医師が、ミスしたこと説明してくれると思ってました。

 

※この様に守大助さんを犯人と決めつけ取り調べを始めたのでした。

 

続く

2012年9月30日 (日)

拷問、自白について。(日本国憲法の条文)

日本国憲法(抜粋)

 

第三七条【刑事被告人の権利】
1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

 

 

 

第三八条【自己に不利益な供述、自白の証拠能力】
 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

 

 

 

守大助さんを自白をさせるために、警察官・検察官が、憲法を無視した行為で行ったことを具体的に明らかにして行きます。

守大助さんは、どの様にして自白させられたか。(3)

駐車場の所に、もう一人の男性がまっていました。私を四人で前後左右をダイヤ型の囲むよう地下室へ入って行きました。廊下は電気がついてなくくらかったです。
 1つの部屋に、私と阿部刑事が入り、他の三人はどこかえ行きました。
 狭くて窓もなく、灰色のコンクリートの壁で寒い部屋でした。ドアより奥のイスに座らされました。私の正面に机を挟んで、あ刑事が座り、タバコを吸っていいということだったので、吸いながら説明を受けました。
「今から、あなたを調べる人はS係長で、タバコを吸いながら話したり、机に肘をついて聞いたり、手足を組んで聞かないこと。ちゃんとした心構えできちんとした体勢で話をききなさい。」ということを説明されました。
 清水刑事が入ってくるまで2本くらいタバコを吸っていました。
 しばらくして、男性が入って来ました。その男性がS刑事だった。本人の方から、自己紹介をうけました。私も自分の名を言いあいさつしたという感じでした。
S刑事からは、すぐに質問がありました。
「なんでここに呼ばれてきたのか分かるな」と、私はアパートで説明を受けて分かっていたので「A子さんのことですね」と言いました。
 そうすると、清水刑事は「A子さんの急変、なんでなったんだ」と言ってきました。急変の理由を聞いてきました。私には急変の理由が分かりませんので「分かりません」と言いました。
 清水刑事は納得していません。分からないと説明しても聞いてくれない。「なんでお前が知らないんだ」と私が急変の理由を知っているんだと言うのです。
 なんで急変したのか、私は知りません。
 思い当たることが有りませんでした。
 私はA子さんが仙台市立病院に転送されどの様な診断されたかも知りません。原因にしろ、診断名にしても、私は医師では有りませんので、「私は医者じゃないので分かりません」と伝えました。
 それでも清水刑事は、「どうして知らない」「知っているだろう」「お前が知らないはずはないんだ」と何度も言葉を換えて言ってきます。
 私は、A子さんが、植物状態になってしまったのは、処置に問題があったことを知っていたので、それを説明しました。
「郁子先生の挿管ミスでなったんじゃないんでしか?」と言いました。
 これ以上、知らないんです。
 いくら説明しても、「知らないはずない」と言い、私の話は聞こうとしないし、納得なんてしない。
 急変の理由を「なぜ知らない」と怒鳴ってくる。
 分からないし、挿管ミスだと問答が続きました。
 私は正直に困りました。知らないのですから答えられないのですから。
 そうすると、S刑事から「お前がやってない、知らないというなら検査をしてもらう」と言うのです。私はその検査がなんなのか分からなかったので、S刑事へ「どういう検査をするんですか?」と聴きました。
 「ポリグラフという検査だ」と言われましたが、ポリグラフという言葉さえ知らなかったので、私は「ポリグラフとは何ですか?」と聞きました。
 「ただ質問に答えればいいだけだから」と説明されました。
 検査を受ける人の何を検査するのかの説明はありませんでした。
 私は、検査する目的を理解してませんでしたし、うそ発見器だという説明もされませんでした。
 S刑事にいくら言っても聞いてもらえないし、だったら検査でも受けようと思いました。
 不安なんてなかったです。
 それで、私は「検査を受けます」と伝えました。
 清水刑事は、「受けます」というと「お前がちゃんと言わないというならば、一生残るものだから、警察官の息子に本当だったらば、この検査は受けてもらいたくないんだ」と言ってくるのです。
 私はちゃんといっていないこともないし、嘘もいってないので、ちゃんと説明しているとおもいました。なおさら警察官の息子にと言われているので、私は何も嘘なんてないので「受けます」と、そういう気持ちでした。
 別の部屋に移動して検査を受けました。
 S刑事・A刑事は移動の時まではいましたが、入室後はいませんでした。
 中にいたのは、白衣を着た男性と、地下駐車場で一緒になった男性がいました。
 白衣を着た男性から説明を受け承諾しました。
 「このポリグラフという検査は、きちっと研修を受けてやってます。研修を受けた人がやれば同じ結果になります。これは裁判でも認められている裁判でも通用するものなので、間違いない検査です。」と説明がなされました。
 この時「裁判」と言う言葉が出ていますが、私の頭には、入ってきません。
 検査の前に、練習みたいなことをされました。
 白衣の人がトランプを5枚くらい持っていてその中から1枚私が引いて、自分だけ見るように言われ、残りは白衣の人が持って行きました。
 「すべて、いいえで答えてください」と言われ数字を言ってきます。
 順番をいろいろ替えて質問してきました。
 私は、すべての数字について、「いいえ」で答えました。
 そのやり取り後に、「貴方の持っているのは何番ですね。」その数字は合っていましたが、私が持っている以外は白衣の人が持っているので、そちらを見てしまえば、こちらの数字は分かり、当たるのも当然だと思いました。
 そのように私は考えてました。
 
 実際の検査が始まりました。
 私がこの検査で覚えているものは、
 ・A子ちゃんの急変に使用した薬品の名前。
 ・犯人とされる人は外部・内部の者。
 ・何人そういうことをやっているか。
 というようなことを質問を受けました。

 

 薬品の質問の中に、
「マスキュラックス」「サクシン」「ミオブロッツ」「ダントリューム」ともう1種が出ていました。
しかし、A子さんには、筋弛緩剤を使っていませんでしたので、私は「いいえ」で答える前に、「いや、A子ちゃんにはそんな薬品を使っていません」と言いました。
白衣の人は、「あなたは質問に答えるだけでいいので、余計なことは言わないでください」と言われました。
 私は、そんな薬品は使用していないのにと思いました。
 急変の原因になるようなことは、薬以外の質問は無かったと思います。

 

 犯人は、外部・内部の者かというのでは、医師・看護婦・事務員・放射線技師、若しくはリハビリ技師・外部からの人間か。ということ。

 

 急変をさせた人数というのでは、5人・10人・15人・20人・30人か、ということ。

 

 順番を違うくして、同じ質問をしてきました。
すべて、「いいえ」で答えるというもの、薬品以外の時も、「そんなことをしていない」と1回か2回あり、注意を受けました。
 体には、胸・腹部に巻き付けられ、腕には血圧計や酸素飽和度を計測するものを付けられました。
 白衣の人は私からみえない壱になります。私は壁を見ている状態でした。
 ポリグラフ検査が終了して、朝に来た時の部屋に戻りました。
 私の心境は、どんな結果が出ているんだろう、疲れたとうい感じでした。
 それに、どうしてつかってない薬なんか質問するのかと思いはしました。
 部屋では、阿部刑事からタバコを吸っていいといわれたので、吸っていました。

 

 私が疑われているとも、A子さんが筋弛緩剤による急変だと、思いも考えもしませんでした。私がやっていないからこそ、思いも考えもしないし、A子さんの急変が「事件」であると認識していません。
 医療過誤であると思っているものですから、このポリグラフでの質問でも、何を言っているんだという感じにしかなりませんでした。
「事件」が起きたとは結びつきません。

 

 以上が、平成13年1月6日朝からポリグラフ検査までの事実です。

 

続く(これから、事情聴取とは全く違った、強引な取り調べを始める。)

 

 

2012年9月23日 (日)

守大助さんは、どの様にして自白させられたか(2)

① 平成13年1月6日朝からポリグラフ検査まで

 

 私は、結婚を前提に北陵クリニック看護婦Kさんと付き合い一緒に暮らしていました。
 1月4日から5日までは、私の実家へ泊まりにいってました。私としては、幸せな日々でした。
  この年に結婚することになっていたので身も心もいつもの年とは違うものでした。
 1月5日は、実家から帰って来て、2人ともゆっくりしていました。
 1月6日の午前3時頃までテレビを観たりし寝たのは午前4時近くだったと思います。6日の予定は、買物へ街中に行く予定でおりました。
 起床はゆっくりでいいだろうと思ってました。テレビがあるのは、リビングだけでしたので、和室を寝室にしていたのでしたが、年末からテレビ番組が深夜まで放送されていましたので、リビングへ布団を敷いて、1月6日も休んでいました。
 午前8時頃にアパートのチャイムが鳴りました。
 夢かなと思ってたのですが、2回ほどチャイムが鳴り続いたので、リビングから確認できるインターホンで私が対応しました。Kさんは寝ていました。
 S婦長がモニターに映り「おはようKさんいる」と聞かれたので「ちょっとまってて」と言い、私は寝ているKさんを起こして、S婦長が来ていることを伝え、私は布団に入りました。
 玄関で対応したのはKさんでした。
 玄関から、「大助ちょっと来て」と言われたので、布団から出てすぐに行きました。
 玄関口には、S婦長と私服の男性が2名立っていました。
 私が、Kさん、S婦長の両方の顔を見るようにして「どうしたの」と聞きました。Kさんは分からない表情で、頭を傾けました。この言葉に応対したのは、年配の私服の人でした。胸元のポケットから黒い手帳を出し見せられました。
 私は見て、警察官だと認識しました。「こういう者なんですがここでは話がひどいので、もし良ければ中でいいですか」と言われましたので、私はKさんの方を向いて「いいよね」と確認したと思います。そうして中に入ってもらうことにしました。
 Kさんがスリッパを出している時に、私はリビングの布団を簡単に畳んで和室へ入れて、ヒーターのスイッチを押したと思います。
 リビングには、三人掛けのソファーが1つしかないので三人にソファーに掛けてもらいました。S婦長を挟む様に両側へ刑事が座る。私はソファーを正面にテーブルを挟んで絨毯の上に座りました。
 Kさんは女性でありパジャマ姿で化粧もしていなかったので、S婦長たちとは正面にならない、ソファーと同じ側に立っていたと思います。
 リビングなので、キッチンも同じ所にあるので、何か飲み物でもだそうかと準備していたかも知れません。私も2人の刑事もタバコは吸いました。 
2人の刑事は年配の人がH、もう一人が阿部刑事であると言われたと思います。私から名前をきいたということではないので、それぞれ名前を言ったのだとおもいます。
 引地刑事が1人話してくるのでした.阿部刑事、S婦長Kさら話されることはなかったと思います。
 私は、平成12年12月4日に退職してからS婦長とは直接会ったのが久しぶりでした。入職した頃は意見が合わなかったりしましたが、その後は、公私ともなかよくなり、退職後に思い出や感謝の気持ち、A子さんの挿管ミスを訴えると書いた手紙を、Kさんが北陵クリニックへ行った時に渡してもらい、その後Kさんが2人のボーナスをもらいに行った時、手紙と2人にへと、湯飲み茶碗をいただいていたので、S婦長との会話は、「婦長さん湯飲みありがとうね」と言っただけでした。それ以外は会話がなかった。
 H刑事から、私とKさんへ説明がなされました。
 「A子ちゃんのことで、クリニックの職員の方にいろいろ聞いてまして、今日は守さんとKさんから話を聞きたいのですがよろしいですか」と説明がなされました。
 私は、困るようなことなかったので、Kさんを見ると「うん」と頷いていたので、私はH刑事へ「構いません」と返事したと思いました。
 警察官が来たこと、話すことに不安を感じるようなことはありませんでした。 
 引地刑事は私の父親を知っているんだと「守さんのお父さんとは、以前仙台東警察署で一緒になって仕事をしたことある、明るくていい親父さんさんだよな」と父のことを話してきたので、不安より安心と親近感を持ちました。
 笑って話をしていましたので、疑われているなんて全く思いませんでした。
 警察の方で話を聞きたいということでしたので、私とKさんは、着替えするために洋室の方へ行きました。着替えをしながら二人で「Oさんから北陵が訴えられたんだ」「Oさんに協力しよう、郁子先生が挿管ミスしたことを伝えよう」と確認しました。
 私もKさんも、Aちゃんが急変した時、処置対応して、半田郁子副院長が気道確保するラリンゲルチュ-ブ挿管を2回失敗しているのを、見ていましたので、それの失敗によって重症になったと認識していました。ラリンゲルチュ-ブ挿管の失敗はとても大きいものであります。 
 当時、私はA子ちゃんが重症になったのは、ラリンゲルチュ-ブ挿管の失敗があったからだと当直明けの申し送りでも伝えていました。救急の処置が悪かったので、家族が訴えたんだと思いました。
 Oさん家族は、挿管ミスしたことを知らないのですから、そのことを教えてやろうと、Oさんに協力してやろうと確認しました。この考えはKさんも同じでした。
 着替えして、洗面も終えて、大雪だったのでKさんの車で行こう、私の車ではこの雪では、アパートの坂さえ登れないと分かっていたので、Kさんの車でと思い洗面所で話したと思います。二人が一緒に行くものだと考えていました。
 洗面所を出て、私はリビングに戻りました。一緒に行くつもりでしたので、タバコでも吸って待っていようかと思いました。
 引地刑事から「先に準備できた守さんの方から、じゃ先に行って下さい」と言われました。
 私は、二人で行くとばかり思っていましたので「はあ?」と声に出したと思います。別々に行くとは考えていなかったので、どうしてなのかという感じで「はあ?」と言った。
 たしかに、私の方が先に準備が出来ていたし、Kさんはまだ準備に時間がかかるとおもったので、私が先に行ってもおかしくないなと思いました。
 車は、刑事が乗って来た車で行くということでした。
 私は、帰りのことを考えて、H刑事に伝えると、「帰りも送るから」と言われたので、自分たちの車でなくともいいのかと思いました。
 私は、洗面所にいたKさんに、「先にいってっから、あとでね」と言いました。Kさんも一緒に行くものだと考えていたので、「えっ、そうなの?サイフ忘れてない」などと簡単に確認してくれました。サイフ、タバコ、ライター、カギをジーパン・コートの中に入れ先に出ました。
 玄関までKさんも出てきて、部屋を後にしました。腕時計は午前8時半頃でした。
 この玄関でのKさんと最後になるとは全く思いもしませんでした。朝食も何も口にしていない。
 アパートの前に乗用車が止まっていてその車に乗りました。
 部屋まで入ってきた阿部刑事と後部座席に私が運転席の後ろに座りました。運転手はいたのですが、助手席には誰もいなく、運転手の男性が窓を開けて、声を出して呼んでいたら、アパートはA棟とB棟の間があり、その間から助手席に座る人が出てきました。助手席に着いて出発しました。
 車内電話だと思うが、それで助手席の人が連絡をしてました。私には分からない用語ですので、何を伝えたのか不明です。
 阿部刑事からは「宮城県警本部に行きます」と言われました。私のアパートは、仙台市泉区にあり、泉警察署があるので、そこに行く者だと思っていたので、「本部にいくんだあ」と思いました。どこに本部はあったかな、県庁の所だったかなと頭の中でかんがえました。
 私以外の3名がタバコを吸い始めたので、阿部刑事に私も吸っていいか確認し吸いました。 車内での会話は、阿部刑事からA子ちゃんの今の状態を聞かされました。
 「A子ちゃん、今、どんな状態か知っているか」と聞かれましたので、私は分かっていることを説明しました。「ベジになっている状態です」と「ベジって何」と聞かれたので、私は、「植物状態になっています」と言い直すとA刑事は、「そうだな」と言われました。これ以外に車内では、そんなに会話はなかったです。
 正月のせいもあり道路が空いていたので、10分から15分くらいで本部に着いたと思います。地下の駐車場に入って止めて、全員が車から降りました。(駐車場に入る時もバーがあり連絡してバーが上がりました。)

 

続く(次回は、県警本部の取調室に入ってから、ポリグラフ検査までを掲載予定)

 

※1月6日、宮城県警は、逮捕を前提に行動していたことが、アパートの外にもう一人刑事と思われる人間が外を見張っていたこと及び守大助さんと同居していたKさんを別の車で県警本部に連行するための車を用意していたことから推認されます。