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自白

2012年11月 8日 (木)

守大助さんはどの様にして自白させられたか。(5)

 私の言い分が聞いてもらえない状況が続き、勘弁して欲しいなと思うようになりました。
清水刑事は、繰り返し言ってくる。
「お前じゃなければ誰だ」
「お前が知らないはずない」
「やっていないなら証拠を出せ」
「反応してるんだ」と言ってくるのです。
A子ちゃんの挿管ミスを自分の目で見ているので、筋弛緩剤の事件だと、現実のものだと認識することは難しかった。
「その日いたやつなんだから、そいつらでいいのか」
から、今度は、
「お前じゃないというなら、K看護婦を逮捕していいんだな」と言ってくるのです。
私でなければ、彼女であるK看護婦を逮捕すると言うんです。
困りました。結婚する相手を私でなければ逮捕すると、これから幸せな家庭をと思っていた私は、Kさんが逮捕されたら、私の父が警察官なので、父にも迷惑がかかるのではと考えたり。一方ではKさんも同じように言われているのではないかとも考えました。
Kさんと会わせてもらえなかったので、急変したときの確認は出来ない。
私は、業務と筋弛緩剤がはっきり分離することが出来なくなってきました。
まして、Kさんが同じように調べられていると思ったので、かわいそうだと強く思いました。
 私は、やっていないことなので、自分は逮捕されるとは考えもしませんでした。
 朝からずっと怒鳴られたいたこともあり、精神的にも辛くなり。清水刑事の言うことに、「はい」「はい」と言えば帰してもらえるのかなと考え始めました。
散々「お前なんだ」と言われ、やっていないのに言われ続け、「お前じゃなければK看護婦を逮捕する」と言われるし、A子ちゃんが急変した事実はありますので、そこの場面だけを考えてしまう。
 事件性というのをすぐに現実のものとして納得すること難しく、私がやっていないのに自分だと言われるので、「間違えて」という可能性を考えてしまう。
 私はKさんをかわいそうだとばかり思い、どうせ調べれば「挿管ミス」であると分かると簡単に思いました。
 Kさんと私の仕事状況も整理していませんでした。
 私がやっていないのは自身が知っているのであり、この調べから楽になりたいと強く思い、例え私が認めても調べれば分かることだと考えていくのでした。
 このままでは、Kさんが逮捕されると考えた。
 事件性というのが、どうしても結びつかないので、Kさんの逮捕というのに不安があった。
 Kさんも逆に悩んでいるのではないかと思いました。
 清水刑事からは「お前だ」と言われるし、「やってない証拠を出せ」とも言われているので、これだけでも精神的に辛いのに、半田医師でもM助手でもなく、K看護婦を逮捕すると、私は3人でもなく、分からないと説明しているのに、Kさんを逮捕すると言います。
 さらに精神的に悩みました。
 筋弛緩剤の事件だと現実に思ってないので、私は、精神的にも楽になりたいと強く思っていたので、どうせ調べればA子ちゃんが植物状態になったのは、郁子医師の挿管ミスだと分かると思ったので、清水刑事が「お前だ」と言っていても調べれば分かると思いました。
 だから、私はそもそも筋弛緩剤を使っていないので「間違えて」と説明していきました。

 私は,A子ちゃんが急変した事実があった。植物状態になったのは、気道確保であるラリンゲルチューブ挿管の失敗がありました。
 それが問題だと思っていましたし、刑事事件になるような事件性を想像だにしなかった。
 話を聞きたいからと刑事が来て、警察署に連れて行かれ、医療過誤だと言っているのに、刑事からは、筋弛緩剤を使用しているんだと言われる。
 それを使用したのは私だと言われる。
 A子ちゃんが事件であるとの現実感がない。
 現実感がないのに、私がやったんだと強く言われてしまう。
 非現実感がさらに大きくなりました。

 はっきりとした事件がある。あったというならば私がその犯人だと疑われているんだなと考えるが、急変はあったが、それが筋弛緩剤が投与された原因でなったなどとは、理解できなかった。
 自分の業務と事件ということが、はっきり区別できないままでした。
 清水刑事は「お前なんだ」と言う。
 間違って処置したかも知れないと思うが、意図的にやっていないことは間違いない。
 もう怒鳴られるのは、たくさんだと、筋弛緩剤を使っていないのだから、調べれば分かることだと思ったのです。
 以上が、やっていないことを認めてしまうようになった状況です。

※続く
③「虚偽の自白」について

2012年10月17日 (水)

守大助さんはどの様にして自白させられたか(4)

6 ② 虚偽の自白へ

 私は、ポリグラフ検査後、朝に来た時の部屋に戻りました。
 A刑事と二人だけでした。
 S刑事が部屋に入ってくりなり、「やっぱりお前だよ」と言ってきました。
 私は何を言われているのか分からなかったので「はあ?」と声に出しました。
 S刑事は、「反応してるんだ」と言い続けて

「マスキュラックスで反応している」
「こちらで考えている通りだ」
「20・30人以上やっているんだ」

と言われました。
 この様なことが反応しているんだと言われても、私には結びつくものがないんで、
「いや、そんなことを言われても知りません」と言いました。
「反応が出ているからお前なんだ」と言うんです。
やっていないことなので、私は分からない。しかし、S刑事は、全然納得してくれませんでした。
 私に対して、A子ちゃんが急変した日の、10月31日にいた職員のことを言ってきました。
「じゃ、お前が知らない、やってないと言うんじゃ誰なんだ」と言うのです。
「その時いた人を言ってみろ」と言うのです。
私は「半田郁子医師・K看護婦と助手のMさんがいました」と言いました。
S刑事からは、3人がいたという説明をしたのに対して
「じゃ お前じゃなければ郁子先生なのか」
「郁子先生、K看護婦か」
「それとも M助手なのか」と言ってきます。
私は、そんなこと言われても知らないので、「知りません」「分かりません」と言いました。
3人のうち誰かと言われても分からないと答えているのに納得しない。
この時に私が分かっていたのは、入院して急変したんだということでした。
それ以外には、頭の中で整理されていません。
更にS刑事は、「お前じゃなければ その時にいたやつなんだから そいつらでいいのか!」と言ってきました。
「お前じゃなければ」と言われても、私はA子ちゃんに筋弛緩剤なんて使っていないのですから私じゃない「他の3人なのか」というふうに言われても確認がとれるものでなかった。
 急変した場面しか思い出していないので、筋弛緩剤を使用したという場面がなかったので私としては「3人のことも知らないし、やっていないと思う」としか言えませんでした。
「その時いたやつ」だと言われているんで、K看護婦も一緒に急変の対応していたので、確認したいと思ったので、先ず、私はKさんのことが心配になりました。私と同じく調べれれているのではないかと思いました。
S刑事にKさんのことを聞くと。
「隣で調べを受けている」と言われ、私はまします心配になりました。
私も急変原因が分からないのに、「お前がやったんだ、お前じゃなければ誰だ」と当然Kさんにも言っているものだとお思いました。
私はますます心配になりました。私も急変の原因は分からないのに、
「お前がやったんだ」「お前じゃなければ誰だ」と当然。Kさんにも言っていると思いました。
私以上に悩む方だったので、もっと悩み考えているんじゃないかと心配しました。
 当時、私は筋弛緩剤の使用方法は静脈注射しか知りません。
  急変時に使用したという認識がなおい、Kさんにも、確認したかったので、私はS刑事にKさんと会わせてくれと頼みましたが、
 「だめだ」と言って断られました。
 Kさんと会えば、どんな調べか。ひどくないか。筋弛緩剤を使ってないことを、話すことができたのに、許されなかった。
 私が説明をしても聞いてくれない、会わせてくれと言っても聞いてくれない。
 S刑事には納得してもらえないという状態でした。
 このような状態になっている私に
 「お前がやったという証拠がある」と言ってきました。
 どうして私なんだと思いました。だから私は、どんな証拠なんだと思ったので、「証拠ってなんですか、見せて下さい」と言いました。
 「お前が認めたら見せてやる」とS刑事は言います。
「認めたら見せる」と言われても、認めるような事実をしていませんので困りました。
私は「分からない」「知らない」としか言えませんでした。
 今度は、証拠を出せと、
「お前がやっていないと言うならば、やっていない証拠を出せ」と言い。
「出したら認めてやる」といってくるのです。
私は、やってない証拠なんて、やっていないという以外説明ができないのです。
「やっていないとしか言えません」とこれだけ伝えましたが、認めてくれない。
「お前は、やったから証拠がねえんだよ」と怒鳴ってくるのです。
「やってない証拠なんてないです」それ以上答えないでいると、
S刑事はますます大声で怒鳴ってきます。
そうでなくとも、さんざん怒られているので、やめてくれと思いました。
「3人なのか」「あの時いたやつだ」と言われてもA子さんが筋弛緩剤で急変したと考えられなかった。
 どうしてもS刑事からいわれていることが重大なものと結びつかなかった。原因が筋弛緩剤なんだとは考えなかった。それが私の認識でした。
S刑事は口調が厳しくなり、たちあがり大声で怒鳴ってきました。
「お前じゃなければ誰なんだ」「こちらは証拠があってお前を調べてんだから、お前が知らねえっつうことねえんだよ!」と言ってきます。
S刑事は、私が黙っていると、机を叩き怒鳴ってくる。
私は、親にもこんなに怒鳴られたことがないので、精神的にも弱りました。
やっていないのですから、「分からない」「知らない」これが精いっぱいの答えでした。
「挿管ミス」だと説明しても全く聞かない。
このまま調べが終わらないのではないかと思うようになりました。
私はやってないのだから、調べてくれているだろうと「調べて下さい」の一言を口に出せなかった。
 警察は調べるのが仕事であるのだから、言わなくとも調べると思っていたからです。
直接手を出す暴力はないが、言葉の暴力です。
聞く耳を持ってもらえず、性格的にも反発できないので、頭の中でいろいろ考える。
北陵クリニックへの確認、半田教授に確認してくれ、違いますといってくれるのではばいか。
 父親が警察官なので、父に仕事を辞めたことを説明していて、急変時に医療ミスがあったことを言っているので、私がS刑事に言っていることは本当だと確認して分かってくれるのではないかと思いました。
そうしてくれているんだろうと思いました。
 平成12年12月4日の夜の出来事が頭に浮かび、半田教授が、刑事に説明してくれ、不法侵入者じゃないことがわかり、帰してもらったということがあったので、今回も間違いであると助けてくれると思った。
 この時点でも、私は、A子ちゃんの家族から北陵クリニックが訴えられたんだと思ってました。だから半田教授を信頼していたので助けてくれる。半田郁子医師が、ミスしたこと説明してくれると思ってました。

※この様に守大助さんを犯人と決めつけ取り調べを始めたのでした。

続く

2012年9月30日 (日)

守大助さんは、どの様にして自白させられたか。(3)

駐車場の所に、もう一人の男性がまっていました。私を四人で前後左右をダイヤ型の囲むよう地下室へ入って行きました。廊下は電気がついてなくくらかったです。
 1つの部屋に、私と阿部刑事が入り、他の三人はどこかえ行きました。
 狭くて窓もなく、灰色のコンクリートの壁で寒い部屋でした。ドアより奥のイスに座らされました。私の正面に机を挟んで、あ刑事が座り、タバコを吸っていいということだったので、吸いながら説明を受けました。
「今から、あなたを調べる人はS係長で、タバコを吸いながら話したり、机に肘をついて聞いたり、手足を組んで聞かないこと。ちゃんとした心構えできちんとした体勢で話をききなさい。」ということを説明されました。
 清水刑事が入ってくるまで2本くらいタバコを吸っていました。
 しばらくして、男性が入って来ました。その男性がS刑事だった。本人の方から、自己紹介をうけました。私も自分の名を言いあいさつしたという感じでした。
S刑事からは、すぐに質問がありました。
「なんでここに呼ばれてきたのか分かるな」と、私はアパートで説明を受けて分かっていたので「A子さんのことですね」と言いました。
 そうすると、清水刑事は「A子さんの急変、なんでなったんだ」と言ってきました。急変の理由を聞いてきました。私には急変の理由が分かりませんので「分かりません」と言いました。
 清水刑事は納得していません。分からないと説明しても聞いてくれない。「なんでお前が知らないんだ」と私が急変の理由を知っているんだと言うのです。
 なんで急変したのか、私は知りません。
 思い当たることが有りませんでした。
 私はA子さんが仙台市立病院に転送されどの様な診断されたかも知りません。原因にしろ、診断名にしても、私は医師では有りませんので、「私は医者じゃないので分かりません」と伝えました。
 それでも清水刑事は、「どうして知らない」「知っているだろう」「お前が知らないはずはないんだ」と何度も言葉を換えて言ってきます。
 私は、A子さんが、植物状態になってしまったのは、処置に問題があったことを知っていたので、それを説明しました。
「郁子先生の挿管ミスでなったんじゃないんでしか?」と言いました。
 これ以上、知らないんです。
 いくら説明しても、「知らないはずない」と言い、私の話は聞こうとしないし、納得なんてしない。
 急変の理由を「なぜ知らない」と怒鳴ってくる。
 分からないし、挿管ミスだと問答が続きました。
 私は正直に困りました。知らないのですから答えられないのですから。
 そうすると、S刑事から「お前がやってない、知らないというなら検査をしてもらう」と言うのです。私はその検査がなんなのか分からなかったので、S刑事へ「どういう検査をするんですか?」と聴きました。
 「ポリグラフという検査だ」と言われましたが、ポリグラフという言葉さえ知らなかったので、私は「ポリグラフとは何ですか?」と聞きました。
 「ただ質問に答えればいいだけだから」と説明されました。
 検査を受ける人の何を検査するのかの説明はありませんでした。
 私は、検査する目的を理解してませんでしたし、うそ発見器だという説明もされませんでした。
 S刑事にいくら言っても聞いてもらえないし、だったら検査でも受けようと思いました。
 不安なんてなかったです。
 それで、私は「検査を受けます」と伝えました。
 清水刑事は、「受けます」というと「お前がちゃんと言わないというならば、一生残るものだから、警察官の息子に本当だったらば、この検査は受けてもらいたくないんだ」と言ってくるのです。
 私はちゃんといっていないこともないし、嘘もいってないので、ちゃんと説明しているとおもいました。なおさら警察官の息子にと言われているので、私は何も嘘なんてないので「受けます」と、そういう気持ちでした。
 別の部屋に移動して検査を受けました。
 S刑事・A刑事は移動の時まではいましたが、入室後はいませんでした。
 中にいたのは、白衣を着た男性と、地下駐車場で一緒になった男性がいました。
 白衣を着た男性から説明を受け承諾しました。
 「このポリグラフという検査は、きちっと研修を受けてやってます。研修を受けた人がやれば同じ結果になります。これは裁判でも認められている裁判でも通用するものなので、間違いない検査です。」と説明がなされました。
 この時「裁判」と言う言葉が出ていますが、私の頭には、入ってきません。
 検査の前に、練習みたいなことをされました。
 白衣の人がトランプを5枚くらい持っていてその中から1枚私が引いて、自分だけ見るように言われ、残りは白衣の人が持って行きました。
 「すべて、いいえで答えてください」と言われ数字を言ってきます。
 順番をいろいろ替えて質問してきました。
 私は、すべての数字について、「いいえ」で答えました。
 そのやり取り後に、「貴方の持っているのは何番ですね。」その数字は合っていましたが、私が持っている以外は白衣の人が持っているので、そちらを見てしまえば、こちらの数字は分かり、当たるのも当然だと思いました。
 そのように私は考えてました。
 
 実際の検査が始まりました。
 私がこの検査で覚えているものは、
 ・A子ちゃんの急変に使用した薬品の名前。
 ・犯人とされる人は外部・内部の者。
 ・何人そういうことをやっているか。
 というようなことを質問を受けました。

 薬品の質問の中に、
「マスキュラックス」「サクシン」「ミオブロッツ」「ダントリューム」ともう1種が出ていました。
しかし、A子さんには、筋弛緩剤を使っていませんでしたので、私は「いいえ」で答える前に、「いや、A子ちゃんにはそんな薬品を使っていません」と言いました。
白衣の人は、「あなたは質問に答えるだけでいいので、余計なことは言わないでください」と言われました。
 私は、そんな薬品は使用していないのにと思いました。
 急変の原因になるようなことは、薬以外の質問は無かったと思います。

 犯人は、外部・内部の者かというのでは、医師・看護婦・事務員・放射線技師、若しくはリハビリ技師・外部からの人間か。ということ。

 急変をさせた人数というのでは、5人・10人・15人・20人・30人か、ということ。

 順番を違うくして、同じ質問をしてきました。
すべて、「いいえ」で答えるというもの、薬品以外の時も、「そんなことをしていない」と1回か2回あり、注意を受けました。
 体には、胸・腹部に巻き付けられ、腕には血圧計や酸素飽和度を計測するものを付けられました。
 白衣の人は私からみえない壱になります。私は壁を見ている状態でした。
 ポリグラフ検査が終了して、朝に来た時の部屋に戻りました。
 私の心境は、どんな結果が出ているんだろう、疲れたとうい感じでした。
 それに、どうしてつかってない薬なんか質問するのかと思いはしました。
 部屋では、阿部刑事からタバコを吸っていいといわれたので、吸っていました。

 私が疑われているとも、A子さんが筋弛緩剤による急変だと、思いも考えもしませんでした。私がやっていないからこそ、思いも考えもしないし、A子さんの急変が「事件」であると認識していません。
 医療過誤であると思っているものですから、このポリグラフでの質問でも、何を言っているんだという感じにしかなりませんでした。
「事件」が起きたとは結びつきません。

 以上が、平成13年1月6日朝からポリグラフ検査までの事実です。

続く(これから、事情聴取とは全く違った、強引な取り調べを始める。)

2012年9月23日 (日)

守大助さんは、どの様にして自白させられたか(2)

① 平成13年1月6日朝からポリグラフ検査まで

 私は、結婚を前提に北陵クリニック看護婦Kさんと付き合い一緒に暮らしていました。
 1月4日から5日までは、私の実家へ泊まりにいってました。私としては、幸せな日々でした。
  この年に結婚することになっていたので身も心もいつもの年とは違うものでした。
 1月5日は、実家から帰って来て、2人ともゆっくりしていました。
 1月6日の午前3時頃までテレビを観たりし寝たのは午前4時近くだったと思います。6日の予定は、買物へ街中に行く予定でおりました。
 起床はゆっくりでいいだろうと思ってました。テレビがあるのは、リビングだけでしたので、和室を寝室にしていたのでしたが、年末からテレビ番組が深夜まで放送されていましたので、リビングへ布団を敷いて、1月6日も休んでいました。
 午前8時頃にアパートのチャイムが鳴りました。
 夢かなと思ってたのですが、2回ほどチャイムが鳴り続いたので、リビングから確認できるインターホンで私が対応しました。Kさんは寝ていました。
 S婦長がモニターに映り「おはようKさんいる」と聞かれたので「ちょっとまってて」と言い、私は寝ているKさんを起こして、S婦長が来ていることを伝え、私は布団に入りました。
 玄関で対応したのはKさんでした。
 玄関から、「大助ちょっと来て」と言われたので、布団から出てすぐに行きました。
 玄関口には、S婦長と私服の男性が2名立っていました。
 私が、Kさん、S婦長の両方の顔を見るようにして「どうしたの」と聞きました。Kさんは分からない表情で、頭を傾けました。この言葉に応対したのは、年配の私服の人でした。胸元のポケットから黒い手帳を出し見せられました。
 私は見て、警察官だと認識しました。「こういう者なんですがここでは話がひどいので、もし良ければ中でいいですか」と言われましたので、私はKさんの方を向いて「いいよね」と確認したと思います。そうして中に入ってもらうことにしました。
 Kさんがスリッパを出している時に、私はリビングの布団を簡単に畳んで和室へ入れて、ヒーターのスイッチを押したと思います。
 リビングには、三人掛けのソファーが1つしかないので三人にソファーに掛けてもらいました。S婦長を挟む様に両側へ刑事が座る。私はソファーを正面にテーブルを挟んで絨毯の上に座りました。
 Kさんは女性でありパジャマ姿で化粧もしていなかったので、S婦長たちとは正面にならない、ソファーと同じ側に立っていたと思います。
 リビングなので、キッチンも同じ所にあるので、何か飲み物でもだそうかと準備していたかも知れません。私も2人の刑事もタバコは吸いました。 
2人の刑事は年配の人がH、もう一人が阿部刑事であると言われたと思います。私から名前をきいたということではないので、それぞれ名前を言ったのだとおもいます。
 引地刑事が1人話してくるのでした.阿部刑事、S婦長Kさら話されることはなかったと思います。
 私は、平成12年12月4日に退職してからS婦長とは直接会ったのが久しぶりでした。入職した頃は意見が合わなかったりしましたが、その後は、公私ともなかよくなり、退職後に思い出や感謝の気持ち、A子さんの挿管ミスを訴えると書いた手紙を、Kさんが北陵クリニックへ行った時に渡してもらい、その後Kさんが2人のボーナスをもらいに行った時、手紙と2人にへと、湯飲み茶碗をいただいていたので、S婦長との会話は、「婦長さん湯飲みありがとうね」と言っただけでした。それ以外は会話がなかった。
 H刑事から、私とKさんへ説明がなされました。
 「A子ちゃんのことで、クリニックの職員の方にいろいろ聞いてまして、今日は守さんとKさんから話を聞きたいのですがよろしいですか」と説明がなされました。
 私は、困るようなことなかったので、Kさんを見ると「うん」と頷いていたので、私はH刑事へ「構いません」と返事したと思いました。
 警察官が来たこと、話すことに不安を感じるようなことはありませんでした。 
 引地刑事は私の父親を知っているんだと「守さんのお父さんとは、以前仙台東警察署で一緒になって仕事をしたことある、明るくていい親父さんさんだよな」と父のことを話してきたので、不安より安心と親近感を持ちました。
 笑って話をしていましたので、疑われているなんて全く思いませんでした。
 警察の方で話を聞きたいということでしたので、私とKさんは、着替えするために洋室の方へ行きました。着替えをしながら二人で「Oさんから北陵が訴えられたんだ」「Oさんに協力しよう、郁子先生が挿管ミスしたことを伝えよう」と確認しました。
 私もKさんも、Aちゃんが急変した時、処置対応して、半田郁子副院長が気道確保するラリンゲルチュ-ブ挿管を2回失敗しているのを、見ていましたので、それの失敗によって重症になったと認識していました。ラリンゲルチュ-ブ挿管の失敗はとても大きいものであります。 
 当時、私はA子ちゃんが重症になったのは、ラリンゲルチュ-ブ挿管の失敗があったからだと当直明けの申し送りでも伝えていました。救急の処置が悪かったので、家族が訴えたんだと思いました。
 Oさん家族は、挿管ミスしたことを知らないのですから、そのことを教えてやろうと、Oさんに協力してやろうと確認しました。この考えはKさんも同じでした。
 着替えして、洗面も終えて、大雪だったのでKさんの車で行こう、私の車ではこの雪では、アパートの坂さえ登れないと分かっていたので、Kさんの車でと思い洗面所で話したと思います。二人が一緒に行くものだと考えていました。
 洗面所を出て、私はリビングに戻りました。一緒に行くつもりでしたので、タバコでも吸って待っていようかと思いました。
 引地刑事から「先に準備できた守さんの方から、じゃ先に行って下さい」と言われました。
 私は、二人で行くとばかり思っていましたので「はあ?」と声に出したと思います。別々に行くとは考えていなかったので、どうしてなのかという感じで「はあ?」と言った。
 たしかに、私の方が先に準備が出来ていたし、Kさんはまだ準備に時間がかかるとおもったので、私が先に行ってもおかしくないなと思いました。
 車は、刑事が乗って来た車で行くということでした。
 私は、帰りのことを考えて、H刑事に伝えると、「帰りも送るから」と言われたので、自分たちの車でなくともいいのかと思いました。
 私は、洗面所にいたKさんに、「先にいってっから、あとでね」と言いました。Kさんも一緒に行くものだと考えていたので、「えっ、そうなの?サイフ忘れてない」などと簡単に確認してくれました。サイフ、タバコ、ライター、カギをジーパン・コートの中に入れ先に出ました。
 玄関までKさんも出てきて、部屋を後にしました。腕時計は午前8時半頃でした。
 この玄関でのKさんと最後になるとは全く思いもしませんでした。朝食も何も口にしていない。
 アパートの前に乗用車が止まっていてその車に乗りました。
 部屋まで入ってきた阿部刑事と後部座席に私が運転席の後ろに座りました。運転手はいたのですが、助手席には誰もいなく、運転手の男性が窓を開けて、声を出して呼んでいたら、アパートはA棟とB棟の間があり、その間から助手席に座る人が出てきました。助手席に着いて出発しました。
 車内電話だと思うが、それで助手席の人が連絡をしてました。私には分からない用語ですので、何を伝えたのか不明です。
 阿部刑事からは「宮城県警本部に行きます」と言われました。私のアパートは、仙台市泉区にあり、泉警察署があるので、そこに行く者だと思っていたので、「本部にいくんだあ」と思いました。どこに本部はあったかな、県庁の所だったかなと頭の中でかんがえました。
 私以外の3名がタバコを吸い始めたので、阿部刑事に私も吸っていいか確認し吸いました。 車内での会話は、阿部刑事からA子ちゃんの今の状態を聞かされました。
 「A子ちゃん、今、どんな状態か知っているか」と聞かれましたので、私は分かっていることを説明しました。「ベジになっている状態です」と「ベジって何」と聞かれたので、私は、「植物状態になっています」と言い直すとA刑事は、「そうだな」と言われました。これ以外に車内では、そんなに会話はなかったです。
 正月のせいもあり道路が空いていたので、10分から15分くらいで本部に着いたと思います。地下の駐車場に入って止めて、全員が車から降りました。(駐車場に入る時もバーがあり連絡してバーが上がりました。)

続く(次回は、県警本部の取調室に入ってから、ポリグラフ検査までを掲載予定)

※1月6日、宮城県警は、逮捕を前提に行動していたことが、アパートの外にもう一人刑事と思われる人間が外を見張っていたこと及び守大助さんと同居していたKさんを別の車で県警本部に連行するための車を用意していたことから推認されます。

2012年8月23日 (木)

守大助さんが、どの様にして自白させられたか(1)

最近無実が確定した、足利事件の菅谷さん、布川事件の杉山さん、桜井さん等えん罪事件の犯人にされた方々は、ほとんど自白をしています。

自白をしたのではなく、警察、検察により自白を言葉の暴力、非人間的扱いにより自白させられたということが、正しいと思います。

大助さんが自白させられた経過については、検察の論告要旨、裁判所の判決文では、真実とは違うので、明らかにする必要があると思い掲載してゆきます。

大助さんのお父さんは、当時、宮城県警の現職の警察官でした。

「事件」が起こった時に退職願いを胸に県警本部に行きましたが、納得出来る説明はなく、息子の無実を確信して、職責を外されることもなく、何ら恥じることなく、正々堂々と定年まで警察官として勤めました。

大助さんの最高裁に対する「上告趣意書」より

警察官をどう思っていたか。

 私は、昭和46年4月28日、宮城県白石市で宮城県警察官である父、母の長男として生まれました。物心がついた頃には、警察官の息子であると自覚しておりました。

 どのような仕事であるかは、中学生の頃に分かっていたと思います。

 父が警察官であるので、親近感でもいうか安心するのです。何かあったら助けてくれる・守ってくれる この思いが強かったです。

 デタラメナ事をやっているとは思いませんでした。仕事のことを家族で話すこともなかったです。

 私が よく父に言われたことは、当然のことですが、悪いことはするな。悪いことをしようとしている人へは注意してやめさせなさいとIうことです。悪いことをしたらいけないんだというのは、ずーっと言われてきたことです。

 私がもし悪いことをすれば、父が仕事ができなくなるというのも当然にわかることです。父に迷惑をかけるようなことは、してはいけない そう思い生活してきました。

続く

守大助さんの自筆の上告趣意書をデータ化して掲載しますもので、時間がかかるかと思います。

なお、自白について概略を説明したHPが有りましたので、紹介します。

http://www17.ocn.ne.jp/~kyuuenka/sub02.htm