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2013年4月30日 (火)

初めての手錠。(10)

この記録は、守大助さんが自筆で最高裁にたいして書いた上告趣意書(B5版で298頁)の中から、平成13年1月6日午前8時ころ警察が来て、任意同行から恫喝されて「自白」をさせられ、この時点では何も証拠が無かったことから、「反省文」「急変者リスト」を警察の誘導によって書かせられ、昼食は午後4時頃に食べさせられ、更に取り調べが続けられ、「逮捕」され、泉警察署に移動し、更に取り調べが続けられ終わったのが、7日午前0時を過ぎて留置場の中に入れられるまでを掲載したものです。約16時間にわたる取り調べがどの様なものだったのか、これを読んでいただけば、「自白」がどの様にしてさせられ、逮捕されたのか理解できると思います。

 6 ⑦ 初めての手錠
 私が、反省文、リストの清書を完成させられると、清水刑事はそれを持って部屋を出て行きました。阿部刑事が部屋に残りました。
 私は、Kさんのことが気になり心配だったので確認しました。
 まだ、隣で調べているという返答でした。
 一緒に帰るつもりでいたので、まだ終わってないんだと思いました。
 取調室に、清水刑事ではない、私服の人が入って来て。
「逮捕以上を読み上げる」と言われました。それを読み上げて行きまして、私を逮捕しますと言うのでした。
 私は、何が、どうなっているのか分かりませんでした。両手に手錠というものを初めてかけられ、どうして逮捕されるんだと思い、その人へ私は「なんで逮捕されるのですか」と訴えました。そうすると、その人は、「あなか自分でちゃんと、やったというふうに言って、反省もして、ちゃんと今書いたでしょう」と言われました。
 私の頭の中は、パニックです。「やった」という内容は、清水刑事が受け入れてくれなく、間違ったのかと考える様になったが調べてくれれば理解してもらえると思っていたのです。
 どうして逮捕されるのか分かりませんでした。手錠というものをかけられ、それだけでショックで、声も出せなくなりました。
 どうして、どうしてと頭の中で繰り返しです。
 警察官の息子が、手錠をかけられるなんてと、精神的におかしくなりそうでした。
 調べてくれると思っていたわけですから、逮捕なんて考えもしていませんでした。
 「反省文」「リスト」がこの様なことになるとは思いませんでした。
 それでも、半田教授や父親に確認してくれると思っていました。

 県警本部から仙台泉警察署へ移動させられました。両手には手錠され、腰へも紐で巻き付けられどうしようもなくなりました。移動中の車内では会話した覚えはないです。どうしてこのようになるんだと、ただただ考えていました。道中は、外が暗くとだけ覚えています。
 泉署に着いて、すぐに取調室へと入りました。阿部刑事がいて、逮捕されたことについて書類が作成されました。それが、弁解録取だというものだと当時は分かりませんでした。阿部刑事から、確認される様に話すことに、ただ、頷くというものでした。最終的に署名・指印をさせられたものです。
 弁解録取の中で覚えているのは、弁護士の件だけです。阿部刑事から「弁護士は金掛かる、お前、金あるか」と言われました。弁護士が何で必要なのか、正直分からなかったし、知り合いに弁護士もいないので、お願いしようとも思いませんでした。
 その後、同じ部屋でコンビニ弁当が出され、少しだけ口にしました。この食事代を払うと思い、弁当代を確認したら、「これはいいから」と言われました。
 食後は。所持品検査、身体検査を受けました。その後また、取調室で 清水刑事・阿部刑事から調べを受けました。身上経歴というものでした。この作成も清水刑事の確認に頷く、答えると言うだけで、作成されたものです。それにもかなりの時間がかかりました。清水刑事が話すことに答えるのと、いつ帰れるのかと思っていました。
 逮捕となり手錠をかけられ、今後どうなるんだろうというのもあったが、早く、半田教授が説明してくれないかと思ってた、この時も、私は、A子ちゃんの家族が警察へ訴えたと思っていたので、警察が半田教授にも確認するものだと考えていた。
 父親にも確認しているんだろうと思いました。説明してもらえば、帰れると思っていました。しかし、帰ることは出来なかった。
 泉署の中にある留置場で寝る様に言われました。私は、逮捕・手錠だけでも精神的にパニックでした。それに、留置場に泊まるというのはとても耐えられない、勘弁してくれという様な、泣きたい気持ちでした。
 留置場へ移動したのは、1月7日午前0時をとうに過ぎてからでした。
 布団に入ってからも、休むことは出来なかった。
 本当に自分が犯人なのか、いろんな書類を書かされてしまい、もう自分しか犯人はいないのか。A子ちゃんの家族が訴えたのではなかったのか。どうして半田教授は説明してくれないんだなどと混沌として、眠ることなんて出来ませんでした。
 こうして朝を迎えました。
 朝食も、逮捕というショックで食べれませんでした。

続く 守大助さんは、逮捕当日のことを、整理して記載しております。

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