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2012年9月の記事

2012年9月30日 (日)

拷問、自白について。(日本国憲法の条文)

日本国憲法(抜粋)

 

第三七条【刑事被告人の権利】
1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

 

 

 

第三八条【自己に不利益な供述、自白の証拠能力】
 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

 

 

 

守大助さんを自白をさせるために、警察官・検察官が、憲法を無視した行為で行ったことを具体的に明らかにして行きます。

守大助さんは、どの様にして自白させられたか。(3)

駐車場の所に、もう一人の男性がまっていました。私を四人で前後左右をダイヤ型の囲むよう地下室へ入って行きました。廊下は電気がついてなくくらかったです。
 1つの部屋に、私と阿部刑事が入り、他の三人はどこかえ行きました。
 狭くて窓もなく、灰色のコンクリートの壁で寒い部屋でした。ドアより奥のイスに座らされました。私の正面に机を挟んで、あ刑事が座り、タバコを吸っていいということだったので、吸いながら説明を受けました。
「今から、あなたを調べる人はS係長で、タバコを吸いながら話したり、机に肘をついて聞いたり、手足を組んで聞かないこと。ちゃんとした心構えできちんとした体勢で話をききなさい。」ということを説明されました。
 清水刑事が入ってくるまで2本くらいタバコを吸っていました。
 しばらくして、男性が入って来ました。その男性がS刑事だった。本人の方から、自己紹介をうけました。私も自分の名を言いあいさつしたという感じでした。
S刑事からは、すぐに質問がありました。
「なんでここに呼ばれてきたのか分かるな」と、私はアパートで説明を受けて分かっていたので「A子さんのことですね」と言いました。
 そうすると、清水刑事は「A子さんの急変、なんでなったんだ」と言ってきました。急変の理由を聞いてきました。私には急変の理由が分かりませんので「分かりません」と言いました。
 清水刑事は納得していません。分からないと説明しても聞いてくれない。「なんでお前が知らないんだ」と私が急変の理由を知っているんだと言うのです。
 なんで急変したのか、私は知りません。
 思い当たることが有りませんでした。
 私はA子さんが仙台市立病院に転送されどの様な診断されたかも知りません。原因にしろ、診断名にしても、私は医師では有りませんので、「私は医者じゃないので分かりません」と伝えました。
 それでも清水刑事は、「どうして知らない」「知っているだろう」「お前が知らないはずはないんだ」と何度も言葉を換えて言ってきます。
 私は、A子さんが、植物状態になってしまったのは、処置に問題があったことを知っていたので、それを説明しました。
「郁子先生の挿管ミスでなったんじゃないんでしか?」と言いました。
 これ以上、知らないんです。
 いくら説明しても、「知らないはずない」と言い、私の話は聞こうとしないし、納得なんてしない。
 急変の理由を「なぜ知らない」と怒鳴ってくる。
 分からないし、挿管ミスだと問答が続きました。
 私は正直に困りました。知らないのですから答えられないのですから。
 そうすると、S刑事から「お前がやってない、知らないというなら検査をしてもらう」と言うのです。私はその検査がなんなのか分からなかったので、S刑事へ「どういう検査をするんですか?」と聴きました。
 「ポリグラフという検査だ」と言われましたが、ポリグラフという言葉さえ知らなかったので、私は「ポリグラフとは何ですか?」と聞きました。
 「ただ質問に答えればいいだけだから」と説明されました。
 検査を受ける人の何を検査するのかの説明はありませんでした。
 私は、検査する目的を理解してませんでしたし、うそ発見器だという説明もされませんでした。
 S刑事にいくら言っても聞いてもらえないし、だったら検査でも受けようと思いました。
 不安なんてなかったです。
 それで、私は「検査を受けます」と伝えました。
 清水刑事は、「受けます」というと「お前がちゃんと言わないというならば、一生残るものだから、警察官の息子に本当だったらば、この検査は受けてもらいたくないんだ」と言ってくるのです。
 私はちゃんといっていないこともないし、嘘もいってないので、ちゃんと説明しているとおもいました。なおさら警察官の息子にと言われているので、私は何も嘘なんてないので「受けます」と、そういう気持ちでした。
 別の部屋に移動して検査を受けました。
 S刑事・A刑事は移動の時まではいましたが、入室後はいませんでした。
 中にいたのは、白衣を着た男性と、地下駐車場で一緒になった男性がいました。
 白衣を着た男性から説明を受け承諾しました。
 「このポリグラフという検査は、きちっと研修を受けてやってます。研修を受けた人がやれば同じ結果になります。これは裁判でも認められている裁判でも通用するものなので、間違いない検査です。」と説明がなされました。
 この時「裁判」と言う言葉が出ていますが、私の頭には、入ってきません。
 検査の前に、練習みたいなことをされました。
 白衣の人がトランプを5枚くらい持っていてその中から1枚私が引いて、自分だけ見るように言われ、残りは白衣の人が持って行きました。
 「すべて、いいえで答えてください」と言われ数字を言ってきます。
 順番をいろいろ替えて質問してきました。
 私は、すべての数字について、「いいえ」で答えました。
 そのやり取り後に、「貴方の持っているのは何番ですね。」その数字は合っていましたが、私が持っている以外は白衣の人が持っているので、そちらを見てしまえば、こちらの数字は分かり、当たるのも当然だと思いました。
 そのように私は考えてました。
 
 実際の検査が始まりました。
 私がこの検査で覚えているものは、
 ・A子ちゃんの急変に使用した薬品の名前。
 ・犯人とされる人は外部・内部の者。
 ・何人そういうことをやっているか。
 というようなことを質問を受けました。

 

 薬品の質問の中に、
「マスキュラックス」「サクシン」「ミオブロッツ」「ダントリューム」ともう1種が出ていました。
しかし、A子さんには、筋弛緩剤を使っていませんでしたので、私は「いいえ」で答える前に、「いや、A子ちゃんにはそんな薬品を使っていません」と言いました。
白衣の人は、「あなたは質問に答えるだけでいいので、余計なことは言わないでください」と言われました。
 私は、そんな薬品は使用していないのにと思いました。
 急変の原因になるようなことは、薬以外の質問は無かったと思います。

 

 犯人は、外部・内部の者かというのでは、医師・看護婦・事務員・放射線技師、若しくはリハビリ技師・外部からの人間か。ということ。

 

 急変をさせた人数というのでは、5人・10人・15人・20人・30人か、ということ。

 

 順番を違うくして、同じ質問をしてきました。
すべて、「いいえ」で答えるというもの、薬品以外の時も、「そんなことをしていない」と1回か2回あり、注意を受けました。
 体には、胸・腹部に巻き付けられ、腕には血圧計や酸素飽和度を計測するものを付けられました。
 白衣の人は私からみえない壱になります。私は壁を見ている状態でした。
 ポリグラフ検査が終了して、朝に来た時の部屋に戻りました。
 私の心境は、どんな結果が出ているんだろう、疲れたとうい感じでした。
 それに、どうしてつかってない薬なんか質問するのかと思いはしました。
 部屋では、阿部刑事からタバコを吸っていいといわれたので、吸っていました。

 

 私が疑われているとも、A子さんが筋弛緩剤による急変だと、思いも考えもしませんでした。私がやっていないからこそ、思いも考えもしないし、A子さんの急変が「事件」であると認識していません。
 医療過誤であると思っているものですから、このポリグラフでの質問でも、何を言っているんだという感じにしかなりませんでした。
「事件」が起きたとは結びつきません。

 

 以上が、平成13年1月6日朝からポリグラフ検査までの事実です。

 

続く(これから、事情聴取とは全く違った、強引な取り調べを始める。)

 

 

2012年9月23日 (日)

守大助さんは、どの様にして自白させられたか(2)

① 平成13年1月6日朝からポリグラフ検査まで

 

 私は、結婚を前提に北陵クリニック看護婦Kさんと付き合い一緒に暮らしていました。
 1月4日から5日までは、私の実家へ泊まりにいってました。私としては、幸せな日々でした。
  この年に結婚することになっていたので身も心もいつもの年とは違うものでした。
 1月5日は、実家から帰って来て、2人ともゆっくりしていました。
 1月6日の午前3時頃までテレビを観たりし寝たのは午前4時近くだったと思います。6日の予定は、買物へ街中に行く予定でおりました。
 起床はゆっくりでいいだろうと思ってました。テレビがあるのは、リビングだけでしたので、和室を寝室にしていたのでしたが、年末からテレビ番組が深夜まで放送されていましたので、リビングへ布団を敷いて、1月6日も休んでいました。
 午前8時頃にアパートのチャイムが鳴りました。
 夢かなと思ってたのですが、2回ほどチャイムが鳴り続いたので、リビングから確認できるインターホンで私が対応しました。Kさんは寝ていました。
 S婦長がモニターに映り「おはようKさんいる」と聞かれたので「ちょっとまってて」と言い、私は寝ているKさんを起こして、S婦長が来ていることを伝え、私は布団に入りました。
 玄関で対応したのはKさんでした。
 玄関から、「大助ちょっと来て」と言われたので、布団から出てすぐに行きました。
 玄関口には、S婦長と私服の男性が2名立っていました。
 私が、Kさん、S婦長の両方の顔を見るようにして「どうしたの」と聞きました。Kさんは分からない表情で、頭を傾けました。この言葉に応対したのは、年配の私服の人でした。胸元のポケットから黒い手帳を出し見せられました。
 私は見て、警察官だと認識しました。「こういう者なんですがここでは話がひどいので、もし良ければ中でいいですか」と言われましたので、私はKさんの方を向いて「いいよね」と確認したと思います。そうして中に入ってもらうことにしました。
 Kさんがスリッパを出している時に、私はリビングの布団を簡単に畳んで和室へ入れて、ヒーターのスイッチを押したと思います。
 リビングには、三人掛けのソファーが1つしかないので三人にソファーに掛けてもらいました。S婦長を挟む様に両側へ刑事が座る。私はソファーを正面にテーブルを挟んで絨毯の上に座りました。
 Kさんは女性でありパジャマ姿で化粧もしていなかったので、S婦長たちとは正面にならない、ソファーと同じ側に立っていたと思います。
 リビングなので、キッチンも同じ所にあるので、何か飲み物でもだそうかと準備していたかも知れません。私も2人の刑事もタバコは吸いました。 
2人の刑事は年配の人がH、もう一人が阿部刑事であると言われたと思います。私から名前をきいたということではないので、それぞれ名前を言ったのだとおもいます。
 引地刑事が1人話してくるのでした.阿部刑事、S婦長Kさら話されることはなかったと思います。
 私は、平成12年12月4日に退職してからS婦長とは直接会ったのが久しぶりでした。入職した頃は意見が合わなかったりしましたが、その後は、公私ともなかよくなり、退職後に思い出や感謝の気持ち、A子さんの挿管ミスを訴えると書いた手紙を、Kさんが北陵クリニックへ行った時に渡してもらい、その後Kさんが2人のボーナスをもらいに行った時、手紙と2人にへと、湯飲み茶碗をいただいていたので、S婦長との会話は、「婦長さん湯飲みありがとうね」と言っただけでした。それ以外は会話がなかった。
 H刑事から、私とKさんへ説明がなされました。
 「A子ちゃんのことで、クリニックの職員の方にいろいろ聞いてまして、今日は守さんとKさんから話を聞きたいのですがよろしいですか」と説明がなされました。
 私は、困るようなことなかったので、Kさんを見ると「うん」と頷いていたので、私はH刑事へ「構いません」と返事したと思いました。
 警察官が来たこと、話すことに不安を感じるようなことはありませんでした。 
 引地刑事は私の父親を知っているんだと「守さんのお父さんとは、以前仙台東警察署で一緒になって仕事をしたことある、明るくていい親父さんさんだよな」と父のことを話してきたので、不安より安心と親近感を持ちました。
 笑って話をしていましたので、疑われているなんて全く思いませんでした。
 警察の方で話を聞きたいということでしたので、私とKさんは、着替えするために洋室の方へ行きました。着替えをしながら二人で「Oさんから北陵が訴えられたんだ」「Oさんに協力しよう、郁子先生が挿管ミスしたことを伝えよう」と確認しました。
 私もKさんも、Aちゃんが急変した時、処置対応して、半田郁子副院長が気道確保するラリンゲルチュ-ブ挿管を2回失敗しているのを、見ていましたので、それの失敗によって重症になったと認識していました。ラリンゲルチュ-ブ挿管の失敗はとても大きいものであります。 
 当時、私はA子ちゃんが重症になったのは、ラリンゲルチュ-ブ挿管の失敗があったからだと当直明けの申し送りでも伝えていました。救急の処置が悪かったので、家族が訴えたんだと思いました。
 Oさん家族は、挿管ミスしたことを知らないのですから、そのことを教えてやろうと、Oさんに協力してやろうと確認しました。この考えはKさんも同じでした。
 着替えして、洗面も終えて、大雪だったのでKさんの車で行こう、私の車ではこの雪では、アパートの坂さえ登れないと分かっていたので、Kさんの車でと思い洗面所で話したと思います。二人が一緒に行くものだと考えていました。
 洗面所を出て、私はリビングに戻りました。一緒に行くつもりでしたので、タバコでも吸って待っていようかと思いました。
 引地刑事から「先に準備できた守さんの方から、じゃ先に行って下さい」と言われました。
 私は、二人で行くとばかり思っていましたので「はあ?」と声に出したと思います。別々に行くとは考えていなかったので、どうしてなのかという感じで「はあ?」と言った。
 たしかに、私の方が先に準備が出来ていたし、Kさんはまだ準備に時間がかかるとおもったので、私が先に行ってもおかしくないなと思いました。
 車は、刑事が乗って来た車で行くということでした。
 私は、帰りのことを考えて、H刑事に伝えると、「帰りも送るから」と言われたので、自分たちの車でなくともいいのかと思いました。
 私は、洗面所にいたKさんに、「先にいってっから、あとでね」と言いました。Kさんも一緒に行くものだと考えていたので、「えっ、そうなの?サイフ忘れてない」などと簡単に確認してくれました。サイフ、タバコ、ライター、カギをジーパン・コートの中に入れ先に出ました。
 玄関までKさんも出てきて、部屋を後にしました。腕時計は午前8時半頃でした。
 この玄関でのKさんと最後になるとは全く思いもしませんでした。朝食も何も口にしていない。
 アパートの前に乗用車が止まっていてその車に乗りました。
 部屋まで入ってきた阿部刑事と後部座席に私が運転席の後ろに座りました。運転手はいたのですが、助手席には誰もいなく、運転手の男性が窓を開けて、声を出して呼んでいたら、アパートはA棟とB棟の間があり、その間から助手席に座る人が出てきました。助手席に着いて出発しました。
 車内電話だと思うが、それで助手席の人が連絡をしてました。私には分からない用語ですので、何を伝えたのか不明です。
 阿部刑事からは「宮城県警本部に行きます」と言われました。私のアパートは、仙台市泉区にあり、泉警察署があるので、そこに行く者だと思っていたので、「本部にいくんだあ」と思いました。どこに本部はあったかな、県庁の所だったかなと頭の中でかんがえました。
 私以外の3名がタバコを吸い始めたので、阿部刑事に私も吸っていいか確認し吸いました。 車内での会話は、阿部刑事からA子ちゃんの今の状態を聞かされました。
 「A子ちゃん、今、どんな状態か知っているか」と聞かれましたので、私は分かっていることを説明しました。「ベジになっている状態です」と「ベジって何」と聞かれたので、私は、「植物状態になっています」と言い直すとA刑事は、「そうだな」と言われました。これ以外に車内では、そんなに会話はなかったです。
 正月のせいもあり道路が空いていたので、10分から15分くらいで本部に着いたと思います。地下の駐車場に入って止めて、全員が車から降りました。(駐車場に入る時もバーがあり連絡してバーが上がりました。)

 

続く(次回は、県警本部の取調室に入ってから、ポリグラフ検査までを掲載予定)

 

※1月6日、宮城県警は、逮捕を前提に行動していたことが、アパートの外にもう一人刑事と思われる人間が外を見張っていたこと及び守大助さんと同居していたKさんを別の車で県警本部に連行するための車を用意していたことから推認されます。

2012年9月22日 (土)

再審請求書の要点(3)

 守大助さんは、平成13年1月6日、任意同行で宮城県警本部の地下にある取調室に連行され、部屋に入った途端、取り調べの刑事から、ポリグラフ検査をさせられ、その後から「お前が犯人だ」と言われ、その後は、言葉の暴力的取り調べで、自白させられたが、自白が、本人が冷静に自白したのではないことを、専門家の立場から、奈良女子大学名誉教授の濱田寿美男氏が、明らかにした意見書を提出しました。

 

なお、自白については、守大助さんが最高裁に提出した自筆の上告趣意書から、自白の部分を今後掲載して行きます。

再審請求書の要点(2)

第二の要点は、守大助さんが、逮捕される第一の事件は、「A子ちゃんの点滴にマスキュラックスを混注してその点滴をA子ちゃんに落としました。」と述べたとされる、(検察の論告要旨)・・・・・A子ちゃんの急変がマスキュラックスの投与から急変したのかと言うことです。
  A子ちゃんの北陵クリニックの診療録、救急車で搬送された仙台市立病院の診療録から筋弛緩剤投与による症状とは違うと言うことを、長崎大学医歯学総合研究科 創薬科学教授 池田正行氏が、専門的立場から明らかにした意見書を提出したものです。

 

このことに関して、日本全国の麻酔科医師の方々で、筋弛緩剤マスキュラックスを点滴で投与して薬効が出ると思う方がいらっしゃいましたら、是非教えて下さい。

 

(続く)

 

 

2012年9月20日 (木)

再審開始を、仙台地裁が決定するために。

現在、再審開始決定を求める要請書を。全国の守る会・支援する会に呼びかけて、国民の声を仙台地方裁判所に届ける活動を行っております。

署名の、一人一人の思いは小さなものですが、国民の中に一審の仙台地裁の判決・仙台高裁の判決が、科学の基本を素直に学ぼうとしなかったことがあやまちで有ったと言うことを、国民の声だと追うことを知ってもらうために貴重な署名なのです。

裁判官が全て検察のイエスマンでないことを信じて、再審開始決定を求める要請書国民の声だということを伝えましょう。

用紙は、下記からプリント出来ます。

http://www17.ocn.ne.jp/~kyuuenka/youseisyo.pdf

なお、当時報道機関は、宮城警察本部の情報を一方的に流した為、現在でも守大助さんが犯人だと脳裏に焼き付き、終わった事件だと思っている方がおることも事実です。

疑問や納得が出来ないことが有りましたら、全て回答いたします。だだし正確を期すため少々時間がかかる場合もあるかと思いかすが、、是非メールで、照会して下さい。

yoshiteru.s@nifty.com

真実は、一つなのです。その真実を明らかにするために、皆様のお力を是非この事件に御協力して下さい。

2012年9月17日 (月)

再審請求書の要点(1)

まず最初に、この事件はこれまでのえん罪事件と大きく違うところは、事件は無かったということです。
 従って、真犯人も存在しないし、事件性は全く無いということを理解していただくことが、必要なことだと思います。
 では、何故10年前にあれほど大々的に報道機関は連日報道したのか、これは警察による発表を検証も加えず、医療機関の中で看護職員が殺人・殺人未遂というあり得ない異常な事件として連日大々的に報道したということです。その影響は地元宮城県では今でも多くの県民の脳裏に焼き付いております。
 そういう私自信も、この事件の真実を知るまでは、守大助は極悪非道な犯人で、極刑に処するべきだと考えていた一人です。
 では、何故守大助さんは無実かということです。

 再審請求書の要点の第一は、有罪の証拠とされた大阪府警科捜研の土橋鑑定書で、筋弛緩剤マスキュラックスの標品を分析した結果、本来分子量557でありその分子イオンないし分子関連イオンはm/z557ないしm/z279(2価)であるものを検出しないで、m/z258イオンをプリカーサイオンとしていますが、ベクロニウムからm/z258イオンは生成しないということであります。つまり標品の分析を間違ったところから出発して、鑑定書を作成したのが、誤りの出発だということです。

(続く)

2012年9月16日 (日)

マスキュラックス(医薬品インタビューフォームより)

2011年4月(改訂第7版)より

 

Ⅶ. 薬物動態に関する項目

 

5.代 謝
(1)代謝部位及び代謝経路

ベクロニウム臭化物の代謝は動物とヒトとの間で大きな差異はなく、ヒトにおいても静脈内投与後速やかに、かつ大部分が肝に取り込まれること、代謝物としては3-OH 体が生成されること、また、投与量の大部分が胆汁中に排泄される(再吸収を伴わない)ことが考察された。ラット、サルの肝において非特異的カルボキシエステラーゼによると考えられる加水分解を受け、3-OH 体のみを生成するが、ヒトにおいても同様であると推測される。なお、ネコの肝においても代謝物として3-OH 体のみが認められ、ベクロニウム臭化物の代謝における本質的な種差は認められていない。(MSD 社研究所)

 

本剤を静脈内投与した患者の血漿及び尿について、本剤と可能性のある代謝物を定量的に分析した行った結果、血漿中では未変化体のみが検出され、脱アセチル体は検出されなかった。尿中では未変化体と3α-脱アセチル体(3-OH 体)が検出された。
(参考:外国人)

 

「2011MUSCULAX.pdf」をダウンロード

 

                                   

 

 

 

 

2012年9月15日 (土)

宮城県警科捜研で、マスキュラックスの鑑定を行っていたのではないか。

仙台地裁判決文230ページ 
     ・・・・そして,平成12年12月3日,半田教授,郁子医師,S婦長及びS主任により行 われた在庫調査の結果,この時点でマスキュラックスが9アンプル存在していることが判 明した(その内訳は,ロット番号が「2986869Y」のもの8アンプル,「24973794」のも の1アンプルであった。なお,同月4日,鑑定に使用するために,マスキユラックス1アン プル(ロット番号が「24973794」のもの)が領置されたため,同月9日に実施された実況見分の際には,マスキュラックスの在庫は8アンプルであった。)。

 

 仙台地裁の判決文の中には、平成12年12月4日鑑定に使用するため北陵クリニックから1アンプルを受領していますが、大阪府警科捜研に鑑定資料を持って行った詳細は記載してありますが、肝心のマスキュラックスの搬送には一切触れておりません。
 宮城県警科捜研からマスキュラックスが、大阪府警科捜研に持って行かなければ、宮城県警科捜研で分析に使用したと考えられます。宮城県警科捜研が、大阪府警科捜研より分析技術が低いとも考えられません。
K君、A子ちゃん、Sさん、Aさんの鑑定資料の受領から、大阪府警科捜研に持って行くまでの間の日数をみれば、鑑定する時間は充分にあったのではないでしょうか。
 ところが、宮城県警ではマスキュラックスの成分が検出できなかったので、大阪府警に頼んだのではないでしょうか。
  従って、大阪府警科捜研の土橋吏員は、以前法中毒に発表したベクロニウムの分析で検出したm/z258のマススペクトルに合わせて、鑑定資料からm/z258が出たとして、鑑定書を作成したのではないかと推認いたします。

 

K君の点滴溶液および血清(12月3日半田教授が県警本部に提出)
仙台地裁判決46ページ
    Y吏員は,これを宮城県警科捜研内の超低温フリーザーに保管した。そして,12月12日,上記記名があるスポイト及び点滴ボトルを確認の上,これを保冷容器に入れ,前記のA子から採取した血清及び尿が入った各スピッツと共に大阪府警科捜研まで搬送し,土橋吏員に鑑定資料として渡した。

 

A子ちゃんの尿及び血清(12月5日仙台市立病院より受領)
仙台地裁判決文44ページ
  Y吏員は12月12日,上記各スピッツを大阪府警科技研まで搬送した。山川吏員は,搬送に出発する前に,上記記名がある3本のスピッツを確認し,これらを保冷容器に入れて搬送した。Y吏員は,自動車で仙台空港へ行き,以後,航空機,地下鉄等の公共交通機関を乗り継ぎ,さらに,徒歩で大阪府警科捜研へ赴き,同科捜研土橋吏員に同スピッツ入り容器を鑑定資料として渡した。

 

Sさんの点滴溶液(12月9日郁子医師より北陵クリニックで受領)
仙台地裁判決文48ページ
  12月20日,S吏員は,上記超低温フリーザー内から上記ボトルを取り出し,これをS2吏員が受け取り,S2吏員は,同ボトルにシールのようなものが巻き付けてあり,「Sさんパンスポ1g」との記載があることを確認した上で,同日これを保冷容器に入れて大阪府警科捜研まで搬送した。その際,白井吏員は,地下鉄とバスで仙台空港へ行き,以後,航空機,南海電鉄,地下鉄を乗り継ぎ,さらに,徒歩で大阪府警科捜研に赴き,ボトル入り容器を同科捜研技術吏員の西川眞弓(以下「西川吏員」という。)に鑑定資料として渡した。

 

Mちゃんの血清(1月23日東北大学付属病院で受領)
仙台地裁判決文42ページ 
  当時宮城県警科捜研所長であったK(以下「K所長」という。)は,平成13年1月24日,同スピッツを大阪府警察科学捜査研究所(以下「大阪府警科捜研」という。)まで搬送した。その準備作業は宮城県警科捜研技術吏員S(以下「S吏員」という。)とS2吏員が担当し,スピッツを保冷容器に入れた。K所長は,この容器を携帯し,自動車で仙台駅へ行き,以後,東北・東海道新幹線,地下鉄を乗り継ぎ,さらに,徒歩で大阪府警科捜研に赴き,同容器を鑑定資料として,大阪府警科捜研技術吏員の土橋均(以下「土橋吏員」という。)に渡した。

 

Aさんの点滴溶液(北陵クリニックO事務長から1月28日受領)
仙台地裁判決文50ページ
   S吏員は,平成13年2月12日,Y刑事と共に,上記各ボトルを保冷容器に入れて大阪府警科捜研まで搬送した。S吏員は,自動車で仙台駅へ行き,以後,東北・東海道新幹線,地下鉄を乗り継ぎ,さらに,徒歩で同科捜研に赴き,同科捜研土橋吏員に上記各ボトル入りの容器を鑑定資料として手渡した。

 

この様に、被害者とされる5人の鑑定資料を大阪府警科捜研に持って行く状況を、詳細に記載していながら、マスキュラックスを大阪府警に持って行ったことは、どこにも記載されていない。つまり、宮城県警科捜研で鑑定に使用したため、大阪府警には持って行かなかったことが推認されます。

2012年9月12日 (水)

第2回再審準備協議開催される

去る8月28日、第2回再審準備協議開催されましたが、次回は12月20日とは約3ヶ月半後、いったいこれだけの時間を何に使うのか疑問が増すばかりです。

しかし、検察は再審請求書を熟読して、社会的に万人が納得出来る回答をされることを願うのみです。

下記に次回の開催について。

http://www17.ocn.ne.jp/~kyuuenka/sub41.html

2012年9月11日 (火)

太陽は条件が変われば西から昇る(仙台高裁判決文より)

私は、仙台高裁に提出した弁護団の控訴趣意書を読み返して、大阪府警科捜研の土橋鑑定書がベクロニュウムを検出していないことを明確に指摘しているにもかかわらず、仙台高裁は無視していることに対し、仙台高裁の公判当時は、いきどうりでいっぱいでしたが。現時点では、仙台高裁が誤った判決を行って、えん罪を作った歴史に残る証拠として貴重な判決文であると思っております。

 

仙台高裁の判決文6頁から

 

 しかしながら,土橋吏員の証言(第23回)によれば,LC/MS/MSにおいては,分析の過程で電圧,カラムなどの分析条件や使用器具に関し同じ条件で分析すれば,検出されるイオンの種類,発現時間は同一になるが,条件が変われば結果も変わるというのであるから,分析条件に関わらず分子量関連イオンが必ず検出されるといえない。
 土橋吏員らの分析方法は所論指摘の日本法中毒学会の雑誌「法中毒」1999年5月号に,「パンクロニウムとベクロニウムの分析方法」(=西川・土橋論文)(当審弁51)として掲載,発表されているのであり,本件各鑑定もこの手法によるものであるが,影浦鑑定意見書が指摘するまで,これが誤りであるとの指摘がなされてきたことがうかがわれず,その再現性,有効性が承認されてきたことがうかがわれる。
 そして,土橋吏員らは,薬毒物の鑑定は年間150件くらい行い,これまで筋弛緩剤の鑑定は15件,資料の点数にして50点くらいの経験があり,うち生体資料の鑑定は10件くらいで,筋弛緩剤が検出された例は3件くらいあるというのであり,その薬毒物分析の実務経験を通し,LC/MS/MSの特性を踏まえた最良の分析条件と思われる条件を把握しており,これを生かしながら,分析装置及び分析条件を同一にして,鑑定資料を分析する郁度標品のベクロニウムについても分析をする必要性を強調した上,同一条件下で,標品のベクロニウムで検出されたイオンの種類,発現時間と試料のそれとを対照して同一性の判定をしているのであり,べクロニウムからm/z258のイオンが出現していることを疑う理由はない。              
 
なお,土橋吏員の証言(第24回,第25回)によれば,本件各鑑定において,各鑑定資料からベクロニウムの未変化体が分離・検出されていることが認められるから,m/z258のプリカーサイオンが,本件各鑑定資料中に存在したベクロニウムの脱アセチル化した変化体に由来するものでないことは明らかである。
 これに対し,影浦鑑定意見書は,前記のとおりの意見を提出しているのであるが,影浦教授がこれまでどの程度ベクロニウムの分析経験を有するのか不明であるばかりでなく,添付資料から見て,その試験条件について,その装置が西川・土橋論文ないし本件各鑑定書と同様の装置を用いたか不明であり,分析条件が異なることは明らかである。影浦教授が,構造の類似したベクロニウムとパンクロニウムが異なった機序でイオン化するのを納得し得る科学的根拠が見いだせないからといって,西川・土橋論文が分析条件を呈示し,ベクロニウムであることが疑いようがないベクロニウム標本からm/z258のプリカーサイオンを得ているのに,同様の装置及び分析条件を用いてその再現性を確認しないで,自己の分析試験から西川・土橋論文の手法,結果を非難するのは一面的であり,本件各鑑定の信用性を損なうものとはいえない。

 

この様に、土橋証言を鵜呑みにして分析条件が違えば違う指数値が出るなどと科学を全く理解しない判決をしているのです。

 

私は、この裁判官の判決文は、「太陽は東から昇るが、条件が変われば西からも昇る」というような判決だと思っております。

 

これを最高裁が何のためらいもなく、踏襲したことと思い震えが止まりませんでした。全く科学を無視した非科学的な知識を持った裁判官が人間を裁いている現実に、呆然とするとともに怒りと、絶対に許すことが出来ないと思いました。

 

追加 (2013年3月30日記載)

 

確定判決では、標品と鑑定試料(血清、尿、点滴ボトル)からベクロニウムの未変化体が検出されたとしていたが、昨年12月20日の検察の意見書では、変化体だったと覆したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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