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2006年9月の記事

2006年9月17日 (日)

M子ちゃん(1才1ヶ月)のからだの、十数ヶ所に針を刺す医療の実態。

論告要旨237頁
・・・・母親にM子ちゃんの身体を押さえさせながら検査用の採血を試み、何度か失敗しながらM子ちゃんの血液を採取した。
 N看護婦は、採血に引き続き、M子ちゃんに点滴のためのサーフロー針の刺入を試みたが、泣いて暴れるM子ちゃんに約20分ほどかけて左右の手に合計4ないし5回サーフロー針を刺したものの、うまく刺入できず、結局、自力でM子ちゃんの血管を確保することを断念し、M子ちゃんから採取した血液などを持っていったん同病室から退出し、外来診療の介助をしていたS主任にM子ちゃんの血管確保を頼んだ。
 そこで、S主任が同病室に赴いたが、M子ちゃんの血管が元々細かった上、N看護婦が針を刺した痕が内出血していたため、作業に手間取り、蒸しタオルで血管の拡張を図ったり、K総婦長の援助を得た末、約30分ほどかかってようやく、M子ちゃんの左足首の静脈にサーフロー針を刺入し、同日午後4時20分ころ、グルコース及びビスコンを調合済みのソリタT1の溶液の点滴投与を開始した。

 

判決文84頁
 S1病室に入室したM子ちゃんに対し、Y看護婦が体温測定し、N看護婦が採血を行うなどした後、同日午後3時30分ころから、前記処方②の点滴を処置するため、N看護婦が、M子ちゃんの血管にサーフロー針を刺入しようと、何回かM子ちゃんの両手に突き刺したが、血管に刺入することができなかった。そこで、N看護婦はS主任に応援を求め、S主任がK総婦長の援助も得て何回かM子ちゃんの左足首の静脈にサーフロー針の刺入を試みた結果、同日午後4時20分ころ、血管を確保することができたので。・・・・・

 

この様に、論告要旨、判決文でM子ちゃんの採血、点滴までの様子が明らかにされております。約50分の間に
(1)採血のため何度か失敗しながら針を刺し
(2)その後約20分にわたって左右の手に合計4ないし5回サーフロー針を刺し
(3)更に、針を刺した痕が内出血していたため、蒸しタオルで血管の拡張を図ったり、約30分ほどかかって、何回かM子ちゃんの左足首の静脈にサーフロー針を刺し、

 

 これが、M子ちゃん(1才1ヶ月)に対する北陵クリニックの医療の実態です。

 

 

M子ちゃんの入院は、病状から勧めたのではなかった。

論告要旨32頁
 郁子医師は、M子ちゃんにそれまでと同様咽頭にやや発赤が認められたのに加え、母親が看病に疲れた様子だったのでM子ちゃんの入院を勧め、母親もこれに応じたので、M子ちゃんの入院が決まった。

 

判決文103頁
・・・郁子医師も、M子ちゃんは喘息様気管支炎及び脱水症の症状が認められたものの、喘息様気管支炎は、呼吸困難がほとんどないか、あっても極めて軽いものであり、これにより呼吸停止を起こすことはないと考えられ、また、脱水症についても、M子ちゃんに見られたのは軽度なもので、それから呼吸停止になることは考えられないし、極度の脱水症がっても呼吸停止するすることはない旨証言しており、同証言についても、小児科医としての専門的知見と自らM子ちゃんを診察した経験に基づきなされたもので、疑いを差し挟むべき事情は認められない。・・・・

 

 つまり喘息様気管支炎は、呼吸困難がほとんどないか、あっても極めて軽いものであり、脱水症についても軽度なものであるなら、入院までさせる必要があったのでしょうか。
 医療機関は、患者の病状から入院を勧めることがあるべきで、母親が疲れているから入院を勧める等ということは、医療なのでしょうか。

2006年9月 1日 (金)

副院長の郁子医師も気道確保が出来ませんでした。

判決文P118
・・・・・・これを聞いた郁子医師は、被告人から渡された咽頭鏡を使ってA子ちゃんの口の中をのぞいてみたものの、気道確保の手技を的確に行う自信が無く、また適切に行うことができない場合にはA子ちゃんの状態を更に悪化させる可能性があると判断したため,A子ちゃんに対して気道確保の処置を試みることなく、A子ちゃんに対してバックアンドマスクによる人工呼吸が再開された。・・・・・・・

 

 入院設備を持っている医療機関であれば、入院中に患者の容体が急変することはあり得ることで、当然急変時の患者に対応できる医療技術を持った医師は必要不可欠でありますが、「気道確保の手技を的確に行う自信が無い」医師が副院長を務めていました。

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